国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)水はH₂Oではない。(院生三橋源一)

2018年11月07日

別にとちくるっている訳ではありません。私が今の村に越してきて改めて気づかされたことの一つです。忍者の修業においては五感を研ぎ澄ます様々な訓練をした様で「小音聞き」といって雑音の中でも小さな音を聞き取れる様に、針の落ちる音を聞き分ける訓練などで養ったそうです。味覚については、現在各種忍術書の読解に着手したばかりで、犬への毒焼飯などの記載はみられますが、人間へのそれは今のところ見当たりません。当然鬼役などが居た為、目的とする人物への効果はなかなか期待できなかったし、人間の味覚はかなり鋭敏だったこともあるでしょう。私が修業している武術の宗家は、その前の宗家の家に稽古に行った際、談笑中に突然『今飲んでるお茶はどこのや?』と聞かれ、分からなかったら『馬鹿者!毒が入っていたらどうする!』と一喝されたり『昨夜はよう寝とったなあ。わしが何回部屋の前を通ったかわかっているのか?』と聞かれたり、非常に効果的な五感の訓練をされていたことを感嘆しきりで聞いておりました。

さて本題。タイトルの内容は村では井戸水も活用しており、水道水のことを村民は『カルキの水』と呼んであまり好んでいない様です。朝のブルーベリー収穫作業中に『あそこの家で出されたお茶な、あれはあかんで。カルキの水で入れたん一発でわかるで。』『そや、わしもそれ思っとったんや。』という何気ない会話。そう、水は単に成分調整されたH₂Oではなく、明確な違いがあり、当然の様に違いを認識していることをまざまざと見せつけられたのです。昨今のTVでも、出身地方の水の硬軟の違いによって無意識に同じようなペットボトル水を選んでしまうことを放映しており、それを指摘されたタレント達はことごとく『え、なんでわかるの?』と驚いておりました。でもそれは「水は水だろ。H₂Oだろ」という思い込みから抜け出ていないがゆえの驚きなのでしょう。

一見同じような概念で括ってしまう人間の傾向を脇に置いて、ありのままに細かな差異に目を向ける。五感の訓練にはこのような内容も含まれているのではないでしょうか。(三橋記)