国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
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(エッセイ)伊予忍術噺 (吉丸雄哉)

2018年11月12日

ここ十年ほどの忍者研究の進展にともない新たな忍者史料が多く出てくるようになったが、それ以前に見つかっている忍者史料にもかかわらず不勉強で知らなかったものを教えていただくことも多い。愛媛県にまつわる『四国七城見聞録』という史料がある。寛永4年(1627)に幕府の隠密が四国の大津(大洲)・松山・今治・徳島・高知・宇和島の各城の見取り図を作成し、また藩政の様子を事細かに記した報告書である。いったいどこが調査のポイントだったかわかって面白い。これは寛文7年(1667)の幕府巡見使の記録『西海巡見志』と一緒に、部分的に伊予史談会によって翻刻されている。

また宇和島の武将土居清良の生涯をつたえる軍記『清良記』には虫をつかった忍びの術が記してあるそうである。

これらは先日、愛媛県を訪れたときに、大洲市立博物館の方々に教えていただいた。感謝である。

大洲城は藤堂高虎の築城で行ってみたい城だったが、念願叶った。JR四国の観光列車「伊予灘ものがたり」が鉄橋を渡るとき、大洲城本丸からのぼり旗を振る「大洲城歓迎はたふり」というイベントをやっていて、人が少ないので私もやらせていただいた。鉄橋を渡るときだけゆっくりになるので、思いのほかたいへんだったが、これもよい思い出だった。今のところ大洲城の公式HPに私の写真があるので物好きな方は探してください。

全般的に愛媛県は親切な方が多かった気がする。温暖で海の幸、山の幸が豊かな風土のせいだろうか。今回、愛媛県も松山より東や北には行けず、服部半蔵正成の子孫の墓があるという今治などに行けなかったので、再訪の機会を待ちたい。

ブログの分量としては十分だが余談をひとつ。大洲城天守閣は平成16年(2004)に木造復元されたものである。様々な伝統技術が投入された木造復元の天守閣は素晴らしかったが、階段の上り下りはかなりたいへんだった。さいきん名古屋城の天守閣復元のさいにエレベーターをつけるかつけないか問題となっている。忍者に関心あってこのブログを読んでいるような方はエレベーターなしのほうがお好みかもしれない。ただ、名古屋城天守閣が大洲城天守閣より遙かに巨大なことを考えれば、普通の人でもエレベーターでまわりたい人はいるだろう。また、清掃員などメンテナンスの人たちもエレベーターをつかえたほうがありがたいだろう。観光施設であることを考えれば、新しい名古屋城にはエレベーターがあったほうがいいと私は思っている。(吉丸記)