国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(エッセイ)事実と虚構の間

2018年06月11日

皆さん、こんにちは、三重大学人文学部で日本近世文学を教えている吉丸雄哉です。

今日は忍者研究の難しさをお話しします。

私は文学研究ですから、もともと虚構であることを前提とした作品を読んでいます。ところが忍者研究だとそうはいかないです。

忍者らしい忍者の初めての記録として『太平記』を自分は使いますが、『太平記』は虚構も多くて厳密には軍記物語です。作中たいへん活躍している児島高徳がいなかったことはよく知られています。巻23の大森彦七と楠木亡霊の鬼女の話などは明らかにお話でしょう。かといって、『太平記』の記述をすべて排除してしまうと歴史でわからなくなる部分多くて不便です。

ところで、私の人生に大きな影響を与えた人に教養課程で教わった歴史学者の義江彰夫先生がいます。義江先生の授業では、『日本書紀』や『古事記』といった史書は歴史の勝者側の編纂者の意図が大きく反映されていると習いました。他の史料を扱ったときもそうだったのですが、史書といえども客観的に記録されているわけでないことを習いました。歴史書に対して事実か虚構であるかより、なぜそのような記述が残されたのかに私が関心あるのは、義江先生の授業のおかげです。

多くの人は書いてあることに対して、それは事実ではありませんと言われるとがっかりするようですが、私はどうしてそういう記述になったのだろうと思うので、わくわくします。忍者資料は創作の入ったものが圧倒的に多いので、史実を見極めるためには作られた忍者像の研究も絶対に必要です。したり顔して、忍者研究は歴史研究だけでいいなどと言う人は忍者研究をやったことがないか、底の浅い研究しかしていないのだと思います。(吉丸記)