国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
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(学生通信)忍術書の書き方(院生 石井将文)

2019年07月24日

 忍術書の書き方には、どうも特徴があるように思います。
 私は他の歴史的書物をほとんど読んだことがないので、これが本当に忍術書特有なのかはわからないので、単なる素人の仮説ですが、少なくとも現代の本と比べて思った事です。(先生方、ご指摘をお願いいたします。)

 その特徴というのは、一つの節(教え)の中に、きわめて具体的で実践可能な技術/方法と、時間をかけて習得すべき抽象的な心構えや生き方の教えが並存しているということです。
 例えば、用間加条伝目口義の「蜘蛛の傳」という節では、「蜘蛛は糸を使う。忍者も縄で忍び込むのだ。それはこうやってやる」という具体的方法のあとに、「普段から人的ネットワークを蜘蛛の巣のように構築しておくことこそが、忍び込む最も良い方法だ」と、抽象度の高い(しかし納得の)ノウハウが書かれています。また、正忍記の「天道地動の習い」では、「上に注意をそらしている間に下から忍び込め」という具体的侵入技術のあとに、「自分の心の空が晴れている=気が乗っているときに仕事をするのがうまくいく」というような抽象的で心理学めいた教えが書かれています。これらは、たまたま私の印象に残っている二例でしたが、多くの節でそのような具体と抽象の共存が見られます。

 忍術書がこのような構成をとる理由について考えてみます。
 一つには、その方がわかりやすく伝わりやすいということです。忍者も人の子ですから、蜘蛛のような縄の使い方は想像がしやすく、とっかかりやすく、学びやすかったと思います。その後、人的ネットワークの話をされると、頭が「蜘蛛モード」になっているので、すっとその話が入ってくると思います。
 もし逆に、初めから「結局縁が大事なんだよ、大人になればわかるよ」といわれると、若者心には「よくわからん。そんなのは力のない老いぼれの精神論だ、具体的な侵入方法を教えろよ」と思ってしまうかもしれません。具体から抽象、という流れは、現代においてもわかりやすい説明の鉄則です。

 一方で、前半の具体的な技術が、単に本当の教えを納得させるための具体例に過ぎないというわけでもありません。忍者は本当に縄を使って侵入しなければならない場面もあると思います。なぜならば、正忍記「二人忍びの事」にもあるように、 忍びの任務にかかわる人数は多ければ良いというものではなく、少数精鋭で行わなければならない場合が多いからです。
 このことが、二つ目の理由ではないでしょうか。つまり、忍びの任務を一人あるいは少数の人数で遂行するためには、一人一人の人間が具体的方法と抽象的目的論の両方に精通していなければならないから、ということです。忍術書を通して具体と抽象の行き来を学ばせることによって、手段が目的化した方法オタクや机上の空論ばかりの頭でっかちを生み出さず、目的のために数多の手段を使い分けるプロフェッショナルの忍びを育てることができるのではないでしょうか。

 かなりダイナミックな解釈なのかもしれませんが、私は引き続きそのような観点で忍術書を眺めていきたいと思います。それは、現代のプログラマーの仕事においても抽象と具体の行き来は大変重要であるからです。来週は、上に書いたようなことを、プログラマーの仕事に当てはめて考えてみたいと思います。
 一読いただき、ありがとうございました。(院生 石井記)