国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
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(エッセイ)これからの忍者ファンタジー(吉丸雄哉)

2020年06月27日

 井辻朱美といえばマイケル・ムアコック『エルリック・サーガ』シリーズの翻訳やファンタジー小説の研究で知られる人物で、ここのところ接点がなかったのだが『ファンタジーを読む ―『指輪物語』、『ハリー・ポッター』、そしてネオファンタジーへ』(青土社、2019)という本を出していることに気がづき、2000円(税別)と安かったこともあって取り寄せて読んでみた。
 トールキンやル=グウィンのような作家が詳細な世界、現実と並行して存在する第二世界を脳内に創り上げ、それを大部の小説にして物語るというありかたが、「ハリー・ポッター」シリーズの破格の売れ行きとかつての名作物語(指輪物語など)の実写映像化のラッシュによってまったく変わってしまったことが「はじめに」に書いてある。現実らしさを創造する映像技術が想像の質を一気に変えてしまったことや「ハリー・ポッター」によって「現実世界」と「想像世界」が接続してしまったことにより、ファンタジーのあり方や享受の仕方がまったく変わってしまった戸惑いが「はじめに」からよく伝わってくる。
 変容しつつあるファンタジーの世界を本論で詳細に考察するのだが、それを読みながら虚像の「忍者」作品のことを考えていた。
 歴史上の「忍び」は南北朝時代から幕末までに活躍していた。そのため「忍者フィクション」もそれらの時代を扱うもの(時代小説など)になる。実際には日本史にぴったりと即していない和風ファンタジー(銀魂など)もあれば、現代社会に忍者が出てくる話(忍者ハットリくん)もある。
 『ハリー・ポッター』が「現実世界」と「想像世界」を接続させた点に特徴を見るなら、忍者ファンタジー(とでもいうような作品)にそれを強調するものが出てきておかしくない。そもそも海外に忍者の存在を知らせるきっかけになった『007は二度死ぬ』(原題You Only Live Twice)(1967)は現代社会に忍者組織が存在しているという設定であり、そこが作品の魅力だった。日本における忍者作品のうち、現代社会に忍者が出てくるという設定では『忍者ハットリくん』や仁木英之『立川忍びより』(2017)のように、現代社会にごく希な忍者が紛れ込んでいるという設定になっている。それに比べて花沢健吾『アンダーニンジャ』(2018~)は現代社会に20万人の忍者組織がいまだに存在し、潜伏しつつ暗躍しているという設定になっている。「現実世界」と「想像世界」を接続させている点で『ハリー・ポッター』シリーズと類似しており、大きく成功する可能性もあるが、今のところそこそこのヒットで終わっているようである。どのあたりが成功して、どのあたりが失敗しているのか、その考察は現代忍者ファンタジーのあり方を見極める手がかりになるだろう。
 忍者作品に関しては大きな人気を得る作品はなくなって、学生に知っている忍者作品を聞くと細かく好みが分かれていることがわかる。忍者でいえば忍者アクションゲームの『SEKIRO』や恋愛アドベンチャーゲームの『忍び、恋うつつ』のようなデジタルゲームが含まれているが、『SEKIRO』と『忍び、恋うつつ』ではプレイヤーは重ならない。
 井辻朱美の考察のなかに『スカイリム』や『ウィッチャー』のようなデジタルゲームは含まれていなかったが、ファンタジーの考察に映画を無視できないようにデジタルゲームも無視できないようになっていくだろう。メディアが拡大し、作品の多様性が増すなか、フィクションの考察はいよいよ難しくなっていくように感じた。(吉丸記)