国際忍者研究センター

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(エッセイ)忍術児雷也と中村雀右衛門

2018年08月30日

新東宝に『忍術児雷也』(1955年公開)『逆襲大蛇丸』(1955年公開)という連作の忍術映画がある。今でもIMAGICAからDVDが手に入り、見やすいほうだろう。監督はともに萩原遼と加藤泰。脚本は賀集院太郎。主役の尾形周馬弘行・児雷也を七代目大谷友右衛門がつとめている。大蛇丸は田崎潤。蝦蟇仙人を大河内伝二郎。綱手姫は利根はる恵である。若き日の若山富三郎の出演もある。DVDのケースには「当時の特殊技術を駆使した映像は一大時代劇スペクタクルとして注目を集めた」とあるが、妖術や蝦蟇と蛇との死闘など特殊技術が使われている部分は今日の目でみればたいへん拙い。

三回ほど見ているがお恥ずかしながら、二回目を見終わった時点で主演の大谷友右衛門がのちの四代目中村雀右衛門だとは気づいていなかった。歌舞伎ファンにとって手本となる女形像はあって、1973年生の私より上の世代だと六代目中村歌右衛門をあげる人が多いと思う。大学のため上京してから本格的に歌舞伎を見始めた私にとって中村雀右衛門が第一人者であり、女形を考えるときの鑑になっていた。ところが、1920年生まれの中村雀右衛門は私が見始めたころはもう70歳過ぎだったので、忍術映画の大谷友右衛門が雀右衛門だとすぐにわからなかったのである。大谷友右衛門がのちの中村雀右衛門という点から見直すと、腰元に女装した若き日の雀右衛門が見られる点で非常にお得な映画である。

中村雀右衛門は映画の活動を1955年でやめて、女形で歌舞伎界に復帰し、1964年に四代目中村雀右衛門を襲名する。大谷友右衛門としての映画作品だと稲垣浩監督・村上元三原作『佐々木小次郎』(1950)の佐々木小次郎が有名で、映画スターとして活躍していたのだが、歌舞伎界復帰直前の『忍術児雷也』『逆襲大蛇丸』をみると、子ども向けの忍術映画などやっていられないと思ったのではと勘ぐってしまう。

その一方で映画スター大谷友右衛門は少年らに強い印象を残したらしく、歌舞伎評論家の渡辺保が雀右衛門がタクシーから降りたあとに老人の運転手が「いま降りた人はは大谷友右衛門ではないですか」と聞いたエピソードを『女形とは 名女形 雀右衛門』(角川ソフィア文庫、2013)に残している。歌舞伎の中村雀右衛門を知らない人の心のなかにも映画スター大谷友右衛門は生き続けたのである。

今月(2018年8月)に新橋演舞場で新作歌舞伎「NARUTO -ナルト-」の公演があった。幸い観劇の機会があったが、これの感想は稿をあらためるとして、少年向けの忍者漫画を原作とする歌舞伎を雀右衛門が生きていたらどう思うか。考えても詮ないことだけど、興味がある。(吉丸記)