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(学生通信)とっさの時は普段の仕草がでるものだ(院生三橋源一)
2018年10月25日
昔、子供の時に読んだ小説で、相手がスパイではなく同国人であることを試すためにいきなり殴りつける場面があった。当然殴られた方は「何しやがる!」と母国語で叫ぶ。それを聞いて「よし同国人にまちがいないようだな。」と確認する場面だが、子供心にそのあまりの無法ぶりに驚愕すると同時に“取り繕ってもとっさの時は普段の仕草がでるものだ”という意味合いの言葉が今でも深く印象に残っている。
戦国期までの忍者の生活を垣間見ることができる史料、伊乱記に『毎朝寅ノ刻に起きて牛ノ刻限り面々の家業に勤励し、牛ノ刻より後は(中略)軍術兵法稽古し』とある。ここでの家業とは主に農業。私は農学徒であると共に、武道も好きでどちらも長年嗜んでいますが、昔からずっと「体の動かし方似ているなあ。」と感じている。特任教授の川上先生も「忍者の要諦は家業にある」「普段の立ち居振る舞いが稽古である」と仰っています。
私も今の畑を開墾していた時期は、日の出前から日没後まで15時間近く畑で作業をしていましたが、疲れ切った時に稽古の事を考えると「これだけ毎日やっている作業を術に応用した方が効率的だし、体に染みついた動きでないと、とっさの時対応できないだろう」という思いがふと浮かんだものです。
そういう訳で忍者の里である、農山村の労働体系と術の関連性を探っていきたいとも考えています。
そうそう、冒頭の場面でいうと伊賀者の反応は「何すんねん!」とか「何すんじゃ、ワレェ!」とかですね。この辺りはほぼ関西弁なので。(院生三橋記)