- ホーム
- ブログ
(エッセイ)これがほんまの義経松明や(吉丸雄哉)
2018年11月19日
2018年11月5日19:00から20:00にBS11「歴史科学捜査班」で第6回「燃焼学で徹底検証!忍者の実体」が放送された。
江戸時代より伝わる忍術書を元に「水中でも火が消えない松明(たいまつ)」を実際に製作し、本当に消えないのか徹底検証!さらに、忍者が使用していたとされる爆弾「焙烙火矢(ほうろくひや)」を検証!その威力はどれくらいあるのだろうか?(番組HPより引用)
三重大学伊賀研究拠点の三重大学名誉教授荒木利久先生が出演して水に入れても消えない松明や忍術書にある爆弾を実験した。結果、大成功で見ていた私も痛快だった。ゲストの中島篤巳先生とか本当はよくご存じだったろうが、実は市販の花火を水槽に入れてもすぐには消えない。「花火 水中 実験」でネット検索すれば動画にせよ、文章にせよ、よく解説してくれていて、簡単にいえば花火に含まれる塩素酸カリウムが分解して酸素が発生するので燃え続けるのである。
さて、番組中では3つの松明のうち「義経松明」なるものが紹介されており、燃焼実験ではもっとも成績よかった。「義経松明」が忍術書『万川集海』巻21、「義経水火炬」(火炬はたいまつのこと)が同書巻22で紹介されている。ところでなぜ義経なのだろうか。源義経と並んで忍術がらみの名将楠正成にちなんだ「正成松明」はない。
理由は簡単で、実際に義経が松明をいくさで使ったからである(正成にも使用例はあるのだが)。覚一本『平家物語』巻9「三草合戦」は一ノ谷合戦の前哨戦にあたる三草山合戦を描くが、このなかで夜間進軍の暗さに困った義経軍が「大松明」を使用する。
其夜の戌の剋ばかり、九郎御曹司(義経)、土肥次郎をめして、「平家は是より三里へだてて、三草の山の西の山口に大勢でひかへたんなるは。今夜夜討によすべきか、あすのいくさか」との給へば、田代冠者すゝみいでて申けるは、「あすのいくさとのべられなば、平家勢つき候なんず。平家は三千餘騎、御方の御勢は一万餘騎、はるかの理に候。夜うちよかんぬと覚候」と申ければ、土肥次郎「いしう申させ給ふ田代殿かな。さらばやがてよせさせ給へ」とてう(ッ)たちけり。つはもの共「くらさはくらし、いかゞせんずる」と口々に申ければ、九郎御曹司「例の大だい松はいかに」。土肥次郎「さる事候」とて、小野原の在家に火をぞかけたりける。是をはじめて、野にも山にも、草にも木にも、火をつけたれば、ひるにはち(ッ)ともおとらずして、三里の山を越行けり。(日本古典文学大系平家物語より)
国民的英雄として知られる義経だが、ここでは夜討ちのため躊躇なく、民家をはじめ、野や山に放火し、昼同然になった道を越えていくのである。「例の大だい松はいかに」というやりとりはいかにも手慣れた印象をうける。
夜戦ではないが、義経と放火はもう一例あって延慶本『平家物語』巻9の宇治川合戦では義仲軍と対峙する義経軍が二万騎をならべるために邪魔な川端の民家へ火をつける。
九郎御曹司(義経)雑色歩行走の者共を召し寄て「家々の資財雑具一々に取出させて河鰭(かわばた)の在家を皆焼払へし。分内を広して二万余騎を皆河鰭に臨ませり」との下知也。給はる歩行走の者共家々に走り廻て此由を披露する処に人一人もなかりけり。さらはとて手々に続松を持て家々を焼払ふ事三百余家也。馬牛なむとをは取出すに及はすやと/\に置たりけれは、皆死にけり。其外も老たる親の行歩にも叶はぬたたみの下にかくし板のと甕瓶の底に有けるも皆焼死にけり。或は逃隠るへき力も無りけるやさしき女房姫君なむとや或は病床に臥たる浅猿(あさまし)けなる者、小者共に至りて刹那の間、煨燼とそなりにける。(大東急記念文庫蔵延慶本平家物語)
戦争のため三百ほどの家から人がいなくなったことを雑兵が確認のうえ火をかけるのだが、実はそれらは空き家ではなかった。残されていた牛や馬に加えて、家に隠れ潜んでいた、年老いて歩けなくなった親やか弱い女房、姫君、病床に伏していた者、子どもらがあっという間に灰になってしまったのである。
テレビに映ったように単なる花火として義経松明を見るのは正しくない。義経松明によって燃え上がる三草山の民家、宇治川べりの民家、それと一緒に火に包まれた人々を想像して欲しい。それが本当の義経松明である。
よくご存じねと思うかもしれないが、これはちょうど読んでいた佐伯真一『「武国」日本 自国意識とその罠』(平凡社新書、2018・10)の「平家物語と戦争被害」(86-89頁)から知った内容。平家物語は覚一本を普通読むので前者はともかく、延慶本の内容は本を読まねば知りえなかった。とてもいい本なので、皆さんもどうぞお求めになってください。(吉丸記)