国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(教職員紹介)三重大学国際忍者研究センター高尾善希<その2>私の先祖話

2018年10月05日

三重大学国際忍者研究センターの高尾善希です。今回は私の先祖の一家、前田家について、ご紹介しましょう。

戦国時代は大名だけではなく、村同士も戦っていました。忍者を生んだ伊賀甲賀地域は、村々に小さな城持ちがいて、互いに戦いあっていたそうです。忍術書「万川集海」には「伊賀甲賀ノ者トモハ、守護有ルコトナク、各我持ニシテ面々カ知行ノ地ニ小城ヲ構ヘ居テ、我意ヲ専トセリ…互ニ人ノ地ヲ奪ヒ取ンコトヲ思テ闘諍ニ及フ事幾何ヤ」(中島篤巳『完本万川集海』国書刊行会、2015)とあります。この「闘諍」の手先として使われていた下人が忍者であり、特に「隠忍」であると記しています。

私の先祖の一家に、伊勢国安濃郡忍田村(現、三重県芸濃町)の無足人(藤堂藩における郷士)前田家があります。前田家の初代前田助右衛門は、北畠家の「小臣」であったが、北畠家が織田家との戦争に負けて、忍田村に落ちのび、通行人を悩ましていた大蛇と戦って退治し、無足人になった、といわれています(「伊勢無足人由緒書」三重県総合博物館)。地元の自治体史『芸濃町史』(芸濃町史教育委員会、1986)によれば、この「大蛇」を「通行人より金品を奪っていた盗賊の集団」と推定していますが、もしかしたら、地元の小豪族であったかもしれません。いずれにせよ、村も自衛をするために武力を保持する必要があった、ということを示唆する逸話でしょう。

その末裔が私の祖父の前田弘(婿養子に入って加藤姓を名乗る)です。芸濃町から、自転車で雨の日も風の日も三重高等農林学校(現、三重大学生物資源学部。この学校は現、三重大学キャンパスにありました)に通い、皆勤賞で卒業しました。弘は加藤家に婿入りして四日市市役所に勤務します。私の家に、アジア太平洋戦争開戦のニュースを聞く四日市市職員たちを写した写真が残っています。その一群の中に、祖父の姿を見つけました。どのような想いで聞いていたのでしょうか。(高尾記)

歴史的瞬間の写真。太平洋戦争勃発。私の家のコレクション(三重県四日市市生桑町加藤家旧蔵資料)。昭和16年12月8日、三重県四日市市市役所「宣戦ノ大詔」を拝聴する。写真裏書。「昭和十六年十二月八日午前十時二〇分、米国及英国ニ対シ、宣戦ノ大詔煥発セラル、四日市市市役所宿直室裏ニテ、右ラジオヲ拝聴ス、洵(まこと)ニ恐懼感激ニ堪ヘズ、正面ノ混凝ブロックハ□(解読不能)道用ナリ」。

職員たちの中の祖父。緊張の表情。