国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

ブログ

 

(学生通信)実は近くにいた忍者の末裔(院生田中(仮))

2019年02月13日

【学生通信】実は近くにいた忍者の末裔(院生田中(仮))

 

みなさんこんにちは!修士1年の田中(仮)です。

今回は授業を受けていてちょっと感動してしまったお話をしたいと思います。

高尾先生の授業では、かつて藤堂藩お抱えの伊賀者として、実際に忍者の任務を行っていた家に伝わる文書を翻刻したり、解読したり、史料整理をする授業を行っています。伊賀者の末裔の方が家の中で見つけた文書を国際忍者研究センターに寄託し、その史料を授業で解読させていただいているというものです。まだ世の中にはそれほど知られていない忍者関連の史料を授業で解読させていただくなんて、とっても貴重な機会をいただいています。

その史料群の中には、当該伊賀者の家の由緒書や、昨年末によくニュースで取り上げられていた「忍術入門誓詞」など、大変興味深い内容がてんこ盛りです。くずし字の解読と同時に、そこに記載された内容について調べものをして事実関係を検討・考察していきます。特にその忍術入門誓詞の検討をしたときなんかは、非常に授業中での議論がヒートアップして、「もう仕事やめてずっと忍者研究やっていたい…!」と思うくらいに楽しかったですね。

実はその伊賀者であった家は、江戸時代に三代ほど伊賀者として勤めていたのですが、その次の代からは伊賀者とは違う職務に就きました。今はその辺りの史料を読んでいるのですが、七代目の当主が亡くなった際の埋葬に関する記録の翻刻が自分の担当になりました。葬式にかかった費用や使った物、遺品に関する記録が書かれています。これまで読んできた文書と違ってほとんどリストのようなものだったので、文脈から読み解くという技を使うことができず、くずし字がほとんどわからなかったのには落ち込みましたね…。もっともっと勉強しないといけません。

それはさておき、その文書の最後に、当該伊賀者の子孫である七代目の人のお墓の絵と、葬られた寺の名前が書かれていました。そこはとある江戸のお寺のようです。高尾先生が「この寺がどこにあるのか調べてみよう!」と、江戸時代の古地図と現代地図が一目で見比べられるPCソフトを使って割り出してくださいました。江戸時代の地図上のお寺を現代の地図に当てはめていくと…なんとそのお寺が存在していた場所は、東京の僕が住んでいる家の目の前でした。その伊賀者の子孫の方の文書を家で一生懸命読んでいたら、なんと自分がいる50m先くらいにその人が眠っているというわけだったのです…!これには鳥肌が立ってしまいました。因縁ってやっぱりあるんですね!

伊賀者の子孫の方が葬られたお寺があった場所は、今では工場になっています。そのお寺は今は別の場所へ引っ越してしまったのですが、お墓の中まで掘り起こして移動することはまずないので、今もその工場の下に眠っていることでしょう。今後春休みになったら、都内にある引っ越し先のお寺にも行ってみようと思います。これだから歴史って面白いんだよなぁと改めて感じた瞬間でした。(田中(仮)記)