国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)どうしてもうまくゆかぬときには。(院生 凛)

2019年07月22日

 皆の衆、息災にござるか。徳川家康と服部半蔵忍者隊は軽業の凛じゃ。晴れ間のみえぬ日々がつづいておるが、皆はなにをいたし過ごしておるか。拙者は先週より、我が眼にて忍びにかかわる史料を読み解く翻刻作業に徹しておる。
実はこれまでの授業では、くずし字と呼ばれる文字を読む基礎鍛錬を積んでおった。なにをもって基礎かともうせば、わかりやすい答えの用意された教科書をひたすらおぼえるという具合じゃゃ。“あ”を“あ”と読む。
現世にてはここに疑いをもつ者がおらんように、なにも考えず頭に知識を放り込む作業じゃ。一方、先週より読んでおるこの史料には答えそのものがござらん。即ち、今後は自らの力で一定の答えを導き出す必要がござる。
しかしこれが誠むずかしい。我らは主に江戸時代の史料を読んでおるが、拙者は実際に江戸の時代を生きてきたわけではござらん。ゆえに、かの時代を体感しておる者が書いた文章特有の“あたりまえ”についてゆくことができないのじゃ。

 ひとは文章を読むとき、文脈をはかる。江戸の暮らしぶり、その光景を知りながら書く文章において、読み手もその“あたりまえ”を共有しておればよいのじゃが、我らはあくまで、かの時代を想像で補い読み解いてゆくほかあるまい。
 しかし想像するにも、拙者はあまりになにも知らなさすぎる。この春より高尾先生の興味深き江戸談義を齧りつくようきいておるが、常にはじめての情報が飛び交うなかかろうじて、ああじゃろうかこうじゃろうかとひとびとの暮らしを想起する日々じゃ。

 学びとは果てがないもの。ゆえに拙者の一生を捧げたとて完璧にわかることなどできぬと頭では理解しておるが、その歯痒さと対面するのは苦しいところがござる。——うむ、ちいと肩に力がはいりすぎておるのう。
 どんよりとした天候がつづくと、ひとはどうしても気が滅入ってしまうものじゃ。理想が高いのはよろしいが、皆もときには白旗をあげ、己の健康を守ってあげてくだされ。ばなな、食うとええらしいぞ。