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(エッセイ)伊賀者、流行病で寝込む
2020年03月18日
国際忍者研究センターの高尾善希です。最近は新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関するニュースばかりですから、史料に現れる流行病(はやりやまい)に関する話をひとつ書きましょう。
徳川幕府(江戸城)に仕える山里番伊賀者が流行病に倒れる話について、私は拙著『忍者の末裔 江戸城に勤める伊賀者たち』(角川書店、2017)で解説しました。まず、「武江年表」という史料には、享保18年(1733)7月上旬の条に「病癘天下に行はる。十三日・十四日、大路往来絶えたり。藁にて疫病の形を造り、これを送る」とあります。このときの山里番伊賀者の様子が、徳川幕府伊賀者松下家文書「系譜二」という史料に記されています。「七月十日以前より七月中、世上一統風邪病人有之」「山里勤之内ニも不相勤候者過半有之」とあり、山里番伊賀者は半分病臥したといいます。「押して出勤して薬を服用する者がいた」ともいい、これは現代医学としてはいけないことのひとつかもしれません。江戸城でクラスター感染をひきおこすでしょう。このとき山里番伊賀者であった松下菊蔵は、一度も休まず出勤して、幕府からお褒めの書付を発給されています(彼はどういうわけか生涯を通じて病気をしないのです。体質の問題でしょう)。
ちなみに、私が東京都の職員時代に執筆した『幕末江戸町人の記録 鈴木三右衛門日記』(東京都、2008)にも、安政4年(1857)2月の流行病のことが書かれています。「武江年表」には「風邪病むもの多し」とありますが、実際、江戸深川の町人鈴木三右衛門の日記をめくると、家族や奉公人がばたばたと倒れ、元気な奉公人を急に雇っている様子がみてとれます(詳しくは拙稿の解説をご覧ください)。
現代のような衛生観念が薄かった前近代、流行病は簡単に流行したようで、町や村の日記をめくってみると、その流行期に、ちょうどぴったり、判を押したように、ひとがばたばたと病臥しているのがわかることがあります。全国にわたって、このような記事を地道に拾ってゆくと、その流行病がどのくらいの速さで伝わっていったかが研究できると思います。(高尾善希)