国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

ブログ

 

(学生通信)中国十大刺客⑦(院生 鄒開宇)

2021年06月08日

 皆さん、こんにちは。中国から来た三重大学大学院人文社会科学研究科の鄒開宇です。前回は中国清朝末期の刺客張汶(ちょうぶん)祥(しょう)を紹介しましたが、今日は引き続き中国の十大刺客を紹介します。今日は第七位を紹介します。この人物は王著(おうちょ)といい、元朝初期に活きました。
 モンゴル人は再び中国を統一してから中国に元朝を建てました。モンゴル人の軍隊は規模が大きいので、戦争するたびに多くの軍事費が必要です。しかし、モンゴル人は戦争だけが得意で、国を統治することや、財政を管理することなどが下手です。だからそういう領域で異民族を使うしかできません。当時、モンゴル人は漢民族に対する警戒心が強かったので、色目人(つまり回族人や、アラブ人など主に中アジアに住んでイスラム教を信仰する民族)を重用しました。アフマド・ファナーカティーはこのような背景で権力者になる色目人の一人である。
 アフマド・ファナーカティーはイスラム教を信仰する回族で、彼はかつてホラズムで商売をしていたが、モンゴル人はホラズムを滅ぼした後、モンゴル軍に投降し、あるモンゴル人の貴族の召使いになりました。この貴族の娘がクビライに嫁いだ後、アフマド・ファナーカティーはこの女の子とともにクビライの手下になりました。アフマド・ファナーカティーは商人をしたことがあるので、お金を稼ぐことに対してとても心得があります。その時ちょうどモンゴル軍が南宋を攻撃して軍事費が足りないため、アフマド・ファナーカティーはタイミングを見計らってクビライに「国家財政収入の増加に関する若干の提案」というような計画書を提出しました。クビライは読んだら大喜び、この計画は投資が少なく、効果が出ると思ったので、すぐにアフマド・ファナーカティーを「財務大臣」というような職業として選出し、国の財政と経済を管理させました。
 アフマド・ファナーカティーが赴任した後で、まずすることは鉄と塩に対して専売の制度を実行します。そして鉄製農具を高値で政府から農民に売りました。しかし、官製の農具は品質が不合格で、庶民は買いたくないです。そこでアフマド・ファナーカティーは、各地の官庁に強制的な手段を命じることにしました。一時期,民衆は赤字に陥って,しきりに悲鳴を上げました。
 その後、アフマド・ファナーカティーはまた続々と急進的な資金集めの方法を打ち出しました。これはクビライを喜ばせましたが、庶民と一部の官吏の恨みを引き起こしました。皇太子のチンキムは漢民族の儒生の影響を長い間受けているので、彼の父クビライより漢民族のものに興味を持っています。彼はすべてが漢人に似ると主張しています。
 しかし、アフマド・ファナーカティーは回族ですが、中国でイスラム世界の法律規定を実行したいです。両派は激しい闘争を繰り広げました。チンキムはどうやってアフマド・ファナーカティーを落とそうと考えていますが、やがて本当に下級の将校が彼のためにこの願いを完成しました。この人は王著です。彼はアフマド・ファナーカティーが皇帝の名義で悪事を働いたり、民衆を搾取したりしたと聞いて、非常に憤慨しました。そして、チンキムはアフマド・ファナーカティーと矛盾していると聞き、「この生はアフマド・ファナーカティーを殺さないと、人間でないことを誓う」と誓いました。そうだけでなく、彼はアフマド・ファナーカティーを暗殺するためにひそかに銅槌も注文しました。
 王著は単独で行動するわけではないです。この時、高という僧侶もアフマド・ファナーカティーを殺したいと思っています。二人の同志が行動して、アフマド・ファナーカティーを殺すチャンスが来るのを待っています。1282年、クビライは帝国の北を巡り、皇太子のチンキムも一緒に行ったが、アフマド・ファナーカティーは首都の大都(今の北京)を留守にするよう命じられ、王著と高和尚は機会が来たと感じました。彼らは80人以上の仲間を集めて、ある夜で大都に潜入しました。王著はまず人を派遣して、捏造された皇太子の命令を伝えて、太子はもうすぐ京に帰って仏事をすると言って、枢密副使(防衛副大臣)の張易に当夜東宮(皇太子の宮殿)に派兵して警戒してもらいました。張易もあまり考えずに、皇太子が本当に帰ってくると思ったので直接に東宮に禁衛軍を連れて行きました。東宮に着いたら、王著から派遣された人が彼に「太子は今夜アフマド・ファナーカティーを殺します。」に言い、張易はそう聞いたらまず驚いて、すぐ喜んできました。
 アフマド・ファナーカティーは漢民族が嫌いで、漢民族を排除することが多いので、張易もアフマド・ファナーカティーをとても恨んでいます。張易の積極的な協力のもと、王著、高和尚らは順調に皇居に入り、皇太子が来たと宣言しました。アフマド・ファナーカティーらは皇太子が来たと聞いて、すぐに出迎えに来ました。王著は手下にニセ皇太子を演じさせ、わざとアフマド・ファナーカティーを叱ります。アフマド・ファナーカティーが叱られてあわてて腰をかがめて跪いて謝罪しようとするうちに王著はすばやく懐中から銅槌を取り出してアフマド・ファナーカティーの頭に最大の力を込めて打ちました。アフマド・ファナーカティーは即死しました。その后、大臣たちは次々と皇帝へ書きき込みをして、アフマド・ファナーカティーの罪を暴きました。クビライはアフマド・ファナーカティーが殺されるべき犯罪者であることを認めざるを得なくなりました。殺されるべき罪をたくさん決めて、彼に自分の暴政のために代価を払わせました。(院生 鄒開宇記)