国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)今、拝読中の「忍者の掟」について②(院生 リトクヨウ)

2021年06月11日

 みんなさん、こんにちは、引き続き、「忍者の掟」について、書こうと思いますが、よろしくお願いします。
五、忍者は常に持っている道具だが、一つは針で、もう一つは切であると書いてある。切とは布のことで、物を包み隠したり、幕として顔を隠したり、また傷をつけたら、包帯や綱としても用いられる。ところで、この部分にはとても気になることがある。「切で水を濾せば飲み水を作ることもでき、焼けば火薬の原料として使える」どうだろう、飲み水のところまで、昔のことだから、何とか納得できるが、火薬の原料だったら、理想すぎるかな。
 六、忍者は人間の生理・心理作用を活用することで、その「七情五欲」を紹介している。すなわち:七情とは喜・怒・哀・楽・愛・悪・欲で、五欲とは食・色・物・風流・名誉である。私は中国人で、中国ではずっと「七情六欲」と世間に言われているが、はじめて「五欲」と聞いた。また「七情六欲」の具体的内容にもいくつかの説があり、異なっている。日本はどうだろう。例えば儒家では七情とは喜・怒・哀・惧(おそれる)・愛・悪・欲で、仏教では喜・怒・憂・惧・愛・憎・欲で、医家では喜・怒・憂・思・悲・恐・驚でもある。
七、柴隠れという忍術について。結構不思議だと思う。仮死して、葬式をあげて墓に入り、一か八か、掘り出されるのを待つという術である。
八、神游観という訓練が書かれている。
「神游観は、特に寝る前に練習する。実際には動かないまま、布団から起き上がって戸を開け、一歩二歩三歩と外へ出ていき、最初は家の近くを歩いて戻ってくることをイメージする。徐々に距離を延ばして遠いところまで行き、その間に見るもの(実際には見えるはずがないのだが)をイメージし、戻ってくる。近くを歩いているうちはいいが、遠くまで行くようになると、ふっと我に返ったらそこで意識が中断してしまうので、かなり難しい。神遊観は、意識継続のためのイメージトレーニングと言えよう。最終的には敵地潜入の想定になるが、実際の敵地潜入には想定外のことも起こるので、あらゆる選択肢を持ってイメージしなければいけない。服部半蔵正成は神遊観が上手で、敵地へ行かずに敵の城のなかの様子を見たという伝説がある。」
 私見だが、イメージトレーニングとして、考え力を向上させるかもしれないが、実戦の時期には、まずは有り得ない、本当にできるなら、前提としてまずは敵を何のことでも知っておかなればならないのであろう。
以上で、次回も続きますので、宜しく!(院生 リトクヨウ記)