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(学生通信)「李衛公問対」における、「用間は最下策である」について②(院生 リトクヨウ)
2021年07月22日
みんなさん、こんにちは。前回の続きです、よろしくお願いいたします。
太宗「かつて唐倹を使者として突厥に遣わしたとき、そなたは好機と見て総攻撃をかけたが、唐倹を死間に使ったと言われた者も多い。そなたの真意を知りたい」
李靖「わたしは儉と一緒に陛下に努め、唐倹の弁舌では突厥を説き伏せることはできないと判断したから、機を狙い攻撃をしました。つまり大きな災いを除くために小さな義を捨てたのです。倹を死間に使うと多く言われましたが、それは私の本意ではないです。「孫子」の言う通り、用間は最下策であり、この用間編を読み、その末に『水は舟を浮かべるものであるが、同時に舟を転覆させもする。』と註をしました。ある人は間を以て成功になりますが、ある人は間により惨敗になってしまう。人は大人になって朝廷に入り、忠誠を尽くして責任を持ち、欲望など全然無くして主君のために行動すれば、たとえ相手が上手く間諜を使って、我らを離間しても、何も変わりません。唐倹のような小さい事、陛下は何で懸念を抱くのだろう」
太宗「誠にその通りだ。仁義でなければ間が使えない、卑劣者はどうしても間が使えない。かつて周公旦は大義のためにあえて兄に手をかけたという。まして一使節など言わずもがなである。そなたの真意はよくわかった。もはや一点の疑念もない」
李靖の話によると、問題点は自分の内部ではどうするのが重要だという。どんなに上手く間諜を使って味方に来ても、内部は団体一心であれば、無事で済む。また、何で「用間は最下策である」について、水と舟の関係のように安定していないと説明している。興味深いのは太宗が最後の一言である。「仁義でなければ間が使えない、卑劣者はどうしても間が使えない」。これが「萬川集海」との説明は少々共通点がある。参考になったのだろう。
はい、どうもすみません。以上で、よろしくお願いいたします。(院生 リトクヨウ記)