国際忍者研究センター

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(学生通信)映画レビュー52「忍びの者」<1962年、監督:山本薩夫>(院生 郷原匠)

2021年11月24日

 本日紹介する映画は、1962年に公開された「忍びの者」という映画です。初の白黒忍者映画のレビューです。監督の山本薩夫氏はとても有名な映画監督であり、「忍びの者」はもちろんですが、「白い巨塔」(1966年)や「にっぽん泥棒物語」(1965年)、「華麗なる一族」(1974)など、数多くの名作を世に残されています。

 プライムビデオの平均評価は、★5中、★4つ半と、ほぼ満点の評価でした。レビューとしては「いつ見ても面白い」「忍者を知るにはコレ」「真面目な忍者映画」など、どれも高評価揃いでした。これといった酷評は見当たらず、おそらくこれまで見てきた忍者映画の中で、トップに評価が高いものと思われます。

 世は戦国末期、伊賀国では百地三太夫(伊藤雄之助)と藤林長門守(伊藤雄之助)の両者が覇権争いのために対立していました。しかし織田信長(若山冨三郎)が全国制覇に向けて着々と力をつけていたことから、内乱を一旦休止し、両者は配下の下忍達に信長暗殺を命じます。困った下忍達でしたが、なぜか三太夫配下の石川五右衛門(市川雷蔵)だけは信長暗殺を命じ付けられませんでした。五右衛門は、三太夫の妻・イノネ(岸田今日子)と共に、砦に残ることになったのですが、五右衛門とイノネの間には肉体関係ができてしまいます。悪いことに、そのことが女中に知られてしまいます。五右衛門は釈明のために女中を追いかけますが、その最中、何者かによってイノネが暗殺されてしまいます。三太夫は、公では五右衛門をイノネ殺害の犯人として指名手配しますが、五右衛門個人に対しては、もし信長を暗殺することができれば罪を許すと伝えます。冤罪を晴らすため、五右衛門は単身で京都に向かうのですが・・・。以上、ストーリーの前半をご紹介しました。

 主演の石川五右衛門役を務めたのは、1950~60年代の大スター、市川雷蔵氏です。惜しいことに若くして亡くなってしまいましたが、今もなお、映画史に残る大俳優として名を刻んでいます。

 本作品は、1960年11月から1962年5月まで『赤旗』という雑誌に連載された、村山知義『忍びの者』という小説を原作としています。権力者に翻弄される下忍達の悲哀を描いていることから、「資本家に搾取される労働者」を暗示しているとして、当時の左翼的思想に大きな影響を与えています。

 今回の作品を皮切りに、市川雷蔵主演で「忍びの者」シリーズが製作されました。「忍びの者」に続いて、「続・忍びの者」(1963年、山本薩夫)、「新・忍びの者」(1963年、森一生)、「忍びの者 霧隠才蔵」(1964年、田中徳三)、「忍びの者 続・霧隠才蔵」(1964年、池広一夫)、「忍びの者 伊賀屋敷」(1965年、森一生)、「忍びの者 新・霧隠才蔵」(1966年、森一生)、「新書・忍びの者」(1966年、池広一夫)が制作されました。次回以降、これらの作品も順を追ってレビューしていきます。

 この映画の特に注目すべき点は、忍者や忍術のリアリティーを追究していることです。一般的な忍者映画は「超人的なアクションを使って敵と戦う」「現実的にはあり得ない忍術を駆使して相手を倒す」といった、ファンタジー要素の強い作品が世に多く出回っていますが、この映画はそれとは全く逆方向の作品です。忍者間でのいやらしい人間関係、掟絶対主義や権力には逆らえないという思想、歴史という大きな波の中で懸命にもがき続ける伊賀の忍者達、そういったメッセージを数多く含んだ内容であるため、何度見返しても違った発見ができます。資本主義と社会主義の対立が激化した、激動の高度経済成長期だったからこそ、このような深みのある作品が登場したのでしょう。

 本作品をきっかけとして、配給会社の東映や松竹は数々の忍者映画を制作し始めます。特に63年~65年にかけて40本近くの忍者映画が製作され、60年代はまさしく忍者ブームが到来した時代でした。そのブームの火付け役となった意味でも、本作品は日本映画史に残る超名作だといえます。

 文句なしの名作でありますので、観て絶対に損はありません。下手な忍者映画を100本見るよりも何百倍の価値があるので、機会があればぜひご鑑賞下さい。

 以上で今回のレビューを終わります。次回は「続・忍びの者」(1963年、監督:山本薩夫)をレビューしたいと思います! (院生 郷原記)