国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)「忍者と玉秀斎 その2」(院生 四代目・玉田玉秀斎)

2022年04月30日

 時は2016年3月、毎月恒例の一門勉強会の楽屋でのことだった。
 師匠の四代目・旭堂南陵が「玉田玉秀斎を継げ」と突然言われた。
「えっ、僕がですか」と思わず言うと、師匠は続けて「そうや。旭堂小南陵は筆頭弟子に継いでもらう。お前は俺の夢を継げ」
 この言葉を聞いて、「嫌です」とは言えない。もちろん「はい」と答えた。
 こうして、人生で一度も考えたことがなかった玉田玉秀斎襲名に動き出すことになった。
 1919年に先代玉秀斎がお亡くなりなり、それ以降、空白となっている名跡。しかも、他の玉田家も誰も残っていない。そんな状態で名前を復活するためには、関係者に許可を取る必要がある。
 そこで、師匠と一緒に玉田三兄弟と言われた玉枝斎、玉芳斎、玉秀斎に繋がるご家系にご挨拶にうかがった。南陵の来訪を知られた先方は快く中に通して下さり、「今ちょうど玉田家の歴史を改めて勉強しているところでした」と言って、貴重なお話をして下さり、玉秀斎再興を喜んで下さった。
 さらに、関係者を通じて玉秀斎の物語『女紋』を書かれた池田蘭子さんのお家にもご挨拶に伺った。そこでも「四代目・南陵がお勧めする方なら、喜んで」と快く送り出して下さった。
 そんな中襲名披露に向けての記者会見が行われることになった。記者会見が近づいてくると、「お前なぁ、三代目・玉田玉秀斎に襲名するはずやったんやけど、どうやら、四代目が正しいわ」
「えっ、どういうことですか?」
 代数を変更するということをいきなり言われた師匠。
 それはなぜなのか!講談師らしく続き読みでお伝えいたします。
「ここからこのお話おもしろくなるところでございますが、それはまた来週のお楽しみ!」
 ありがとうございました。(院生 四代目・玉田玉秀斎記)