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(学生通信)『忍者と玉秀斎 その21』(院生 四代目・玉田玉秀斎)
2023年10月13日
講談師になった理由は『講談師になりたかったから』というのが一般的だ。
というよりも99%そうだと思う。
自分の目で高座を見て、その語りに心動かされ、どうしてもその師匠の元で講談を学びたいという気持ちで入門をお願いする。
これが当たり前の入門の仕方なのだ。
でも僕の場合は違う。
たまたま見た新聞記事で講談塾の存在を知り、司法浪人時代の息抜きに、また弁護士になった時、弁論の役立つだろうという理由だけで何かわからない講談を習うことにした。
その中で、四代目・旭堂南陵に「弁護士も講談師も最後に“し”がついているから一緒や」と言われ、「それもそうかな」と思い、入門することになったのだ。
講談がよくわからない状態で講談師生活を始めたのだ。
最初は、修羅場読みと呼ばれる講談独特の語り口のお稽古をつけて頂き、高座に上がらない間は何者でもない時間を過ごす。
そもそも講談師の数が少なかったので、先輩の手伝いにいける場所も少ない。
(この手伝いにいける場所、数の違いが落語界と講談界の大きな相違点。)
仕事の営業なんてしたこともないから、ただ、何者でもない時間を不安の中に過ごす。
たまに会う人々に「自分は講談師です」と言った所で、「何それ?」と言われるだけなのだ。
(神田伯山さんが出現するまで、本当に講談の説明が大変だったのです。その世界を覆した功績だけでも伯山さんは凄いのです。)
講談をよく知らない僕が「講談とは」を説明するんだから、みんなの反応は「あっ、そう」程度。
それでも、時間は過ぎていく。その時間の中でお稽古を積み、高座の数も増えてくる。先輩や他の芸人さんやお客様とのお付き合いも増えてくる。
意味が全くわからない事も多かったし、誰もマニュアルを教えてくれるわけじゃない。
それでも、試行錯誤しながら、怒られながら、怒鳴られながら、恥をかきながら、経験を積み続けると、どうにか生きていけるようになった。
大学院もたまたまの奇跡の連続で、よくわからないまま入学させて頂いた。
幸いなことに怒られることも、怒鳴られることはないが、恥はいつもかいている。
何でこんな事もわからないんだ…。
この世界での当たり前を何も勉強せずに来てしまった…。
何て自分は無知なんだ…。
あぁ~、恥ずかしい…。
もう少し時間があれば…。
毎週木曜日が来るたびに、そんな気持ちになる。
この気持ちは今となっては師匠に会う日の感覚に近いような気がする。
自分の弱いところを突かれるのがわかっているのに引き返すことができない感じ。
そんな自分の弱さと戦えるのが大学院なのだ。(院生 四代目・玉田玉秀斎記)