国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(エッセイ)神君伊賀越と篠島(吉丸雄哉)

2018年10月31日

半田市の郷土史家西まさるさんから『吉原はこうしてつくられた』(新葉館出版、2018)を頂戴した。目次の一部を引用させてもらうが、

吉原遊廓の謎

吉原へ進出した男たちの郷

知多半島、須佐村。

♪須佐のみなとは金だらけ金だらけ

松本清十郎という男

故郷、須佐村の松本清十郎

千賀志摩守。そして徳川家康

知多半島は家康の故郷である

元吉原遊廓の誕生

庄司甚内が元吉原の開祖だとして〔ほか〕

といった内容で、元吉原・新吉原の創設に知多半島出身者が大勢関わっていたことを記す。

この研究は、最先端の吉原研究である日比谷孟俊『江戸吉原の経営学』(笠間書院、2018)とも合致するもので、『江戸吉原の経営学』第一章「第一章 吉原を席捲する尾張の経営者たち」に詳細が記されている。

たいへん面白い本なので是非御覧いただきたいが、このブログに紹介したのは理由があって、『吉原はこうしてつくられた』に神君伊賀越に関する新資料が紹介されていたからである。

篠島(愛知県南知多町篠島)の神明社に

一、天正十年壬年六月 家康公堺より御帰国の節東風の為当初御止宿為武運長久の御祈祷御備物干菓子一折拝領 現住 秀範□(一字不明)

という記録を紹介している(75頁)。

下記のウェブサイトでは、白子か四日市から船で知多半島の常滑か大野に到着。知多半島を陸路で横断し、半田成岩の常楽寺へ出て、そこから海を渡って大浜(碧南市)に到着したと考察している。

忍びの館

戦国浪漫

http://www.m-network.com/sengoku/ieyasu/shiroko.html

http://www.m-network.com/sengoku/ieyasu/isewan.html

http://www.m-network.com/sengoku/ieyasu/tokoname.html

http://www.m-network.com/sengoku/ieyasu/ohama.html

 

上記サイトのうち

http://www.m-network.com/sengoku/ieyasu/tokoname.html

に「上陸地点には異説があり、直接三河碧海郡大浜へ上がったとするものが多い」とある。神君伊賀越に詳しくない私はどの史料がそれに相当するかわからないのだが、もし西まさるさんが紹介した新しい資料の内容が事実なら白子か四日市から篠島を経由して大浜(碧南市)に到着したという説の補強になるだろう。もちろん、家康が立ち寄ったことにしたい史料はたくさんあって、これがそのひとつなのか、事実の記録なのか、専門家の検討を待ちたい。