国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)忍者・忍術学のススメ 〜吉丸先生編〜 (院生田中(仮))

2018年11月06日

こんにちは、修士1年の田中(仮)です。今日は忍者のイメージ像の成立や変遷について、いつも明快な示唆をいただける吉丸雄哉先生の授業の様子をお届けいたします。

吉丸先生は文学専門の先生で、忍者学の研究を始められてからは近世から現代に至るまでの忍者のイメージ像の変遷や、創造作品における忍者の扱われ方などについて研究をされていらっしゃいました。2年前に東京の日本科学未来館で行われた企画展「The NINJA-忍者ってナンジャ!?-」における特別講座で受けた衝撃は今でも忘れられません。いまみなさんが抱く忍者イメージがどの作品からどのように浸透していったのか、非常に明快に論理立った解説がなされ、歴史の観点だけでなく「創作の観点から忍者を捉える楽しさ」に気づかせてくれた気がします。

前期の授業では、最初は史料調査において必要となる書誌学を基礎から教えていただきました。和本を実際に綴じてみたり、書誌データを記録したりなど目から鱗の体験ばかり!その後、文学観点から忍者を研究する考え方や、現代人が描く様々な忍者イメージがどのような作品の影響で、どのように形作られていったかについて講義いただきました。前々から吉丸先生の伊賀で行われる忍者・忍術学講座などでの「くノ一いなかった説」や「松尾芭蕉忍者じゃない説」など“バッサバッサと忍者ロマンをぶった斬っていく論考”は、(忍者好きとしては夢が崩れていくのでその都度傷つきながらも)忍者の真実に近づけるという点で大好きでした。

その中でも大学院の授業で典拠史料を読みながら詳しく講義してくださった「加藤段蔵(飛び加藤)」については激震が走りましたね。歴史群像シリーズなどの忍者本で育った自分としては、加藤段蔵は実在の忍者だと思っていたのですが突き詰めていくと、はるか昔の全く関係ない人物の似たような物語から、ストーリーだけが残り登場人物の設定がどんどん他の作品ひいては軍記物にまでも変換されていって、いつの日か「加藤段蔵=忍者」ということになっていったという経緯を目の当たりにしてしまいました。「僕が今まで信じて夢を抱いてきた忍者知識は一体何だったのか…」と、授業で吉丸先生の解説を聞くたびに忍者ロマンが音を立てて崩れ去っていくような気がしたのを覚えています(笑)

「学者は夢を壊すような事ばかり言いやがって!」なんて言われたりもしますが、みんなが信じたい偶像があたかも歴史的な真実であったかのようにするのではなくて、真実と創作の境界線を引いておくことはとても重要なことだと思っています。願望や虚構だらけの忍者しか残らなくなってしまうと、実際にその昔、名を敢えて残さなかった“本当に忍びの者として命を張って仕事をしていた方達”に対して失礼な事だと思うんですよね。だから創作で華美なまでに装飾されたベールを少しずつ剥がしていき、真実を追求していくという吉丸先生の研究は、音もなく智名もなければ勇名もなかった古の忍びの者達のノイズを取っ払ってくださる点で大変素晴らしいものだと考えています。

忍者ファンには受け入れたくない厳しいこともおっしゃいますので誤解を受けやすいですが、プライベートでも忍者のゲームや小説などを非常に多く読んだり遊んだりしていらっしゃるので、おそらく一番フィクション作品における忍者を誰よりも愛しているのは吉丸先生御本人なのではないかな、と密かに思っています。たまにマニアックな忍者カードゲームを持ってきてくださって、授業中に一緒になって遊んだりもしてくれますよ(笑)

後期に入ってからは、三大忍術書を結構なハイペースで読んでレジュメを作るという授業になりました。正直かなりの負荷がかかりますが、忍術書って持っていても結構読むのが面倒だったりするので、このように強制的に読める機会は大変ありがたいです。レジュメを持ち寄って、それぞれが感じたことや自分の知っている知識を共有したりなど、大変“忍者力”がつく授業となっています。この原稿を書いたら正忍記の下巻を読まねば…!!(田中(仮)記