国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
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(学生通信)抜き足 差し足 忍び足(院生三橋源一)

2018年11月20日

さて、年末を控え大河ドラマも終盤を迎えつつあります。主人公である西郷隆盛の銅像が上野にありますが、実はその足元は足半草鞋だと言われています。

万川集海 巻第一にも「…夜討ち不意打ちで戦を展開し、一時も馬の鞍を外すことなく、雑人さえも常に足半を太刀の鞘に結び付けて…」などという記述がみえます。

この足半、検索してみるとわかるように足の半分の長さの草鞋で、かかとが地面につきます。滑りにくくグリップ力が良く、今でも長良川の鵜飼いは活用しているそうで、以前は漁や戦闘時、農作業時にも活用されていたとか。

さて、私の村周辺は過去に琵琶湖湖底だったことから、泥土であり米つくりには適しています。私は休耕田だったところを畑にしていますが、少しでも濡れるとよく滑る。とくに踵から地面についたときは非常に良く滑る。コケはしないが、前後開脚になって地面に手をつく感じだが、村の真ん中なのでやたら恥ずかしい。このような理由で爪先から地面につくように気を付けていて、ふと足半にたどり着いた次第。

タイトルの忍びの歩法を修練するときも、足半のように、と指導される時がある。とはいえ、単に爪先から地面につくようにすればよいのかというと、田舎を舐めてはいけない。家の中で目をつぶっても開けても暗さは全く変わらない程の闇夜。下手すると足の爪先をしたたかにぶつけ、爪を割ることになり、実際割ってしまう。これが忍びなら音を出すは、こけたりぶつけたりしてケガするわでもう最悪。

結果、爪先からだが少々上から地面につける様に歩くことになるが、これが修練している歩法と同じ。

タイトルの抜き足 差し足もふと人力田植えを思い出す。おそらく、いやほぼ間違いなく、田植え時にバランスを取りながら泥から足を引き抜き、こけない様に爪先から差し込んでいく、あの動作に酷似している。

来年は「うちの田で稲やらんか?」とよく言われるので検証しようと思う。とにかく“生活そのものが稽古”という言葉が農山村にはやたらしっくり来るのは事実である。(三橋記)