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(エッセイ)「敬白天罰霊社起請文前書」と『万川集海』(吉丸雄哉)
2018年11月29日
当研究センターに寄託された伊賀忍者の誓約書「敬白天罰霊社起請文前書」のことは、2018年11月7日頃の新聞で報道されたのでご存じだろう。木津家の5代目の伊之助が1716年に忍術の師匠とされる長井又兵衛に出した起請文である。万川集海の一部が秘伝であることや新たな道具や火器を発案すれば師匠に教えることなどが書いてある。
今期の大学院の授業で忍術書を読んでおり、すでに『正忍記』を読み終わり、国書刊行会本『万川集海』をつかって、「序」と「正心」までちょうど読んだところだった。「正心」に見られる思想が江戸中期以降に流行したものとよく合致するものがあるので、ひょっとして『万川集海』は内閣文庫本献本の寛政元年(1789)に近い頃に編纂されて、延宝の編者藤林保武に仮託したのではと思ったのだが、ずばり「敬白天罰霊社起請文前書」に『万川集海』の名前が出てくるので、正徳6年(1716)には『万川集海』が編纂済みだったといえる。兵書の作成ブームが享保頃(1736まで)で一段落つくので、やはり原本の延宝4年(1676)に成立したとみるのがいいだろう。
中島篤巳先生は国書刊行会から出版した訳注つき『万川集海』の解題では、諸本についてのまとまった考察を書いていない。山口正之『増補版 忍者の生活』(雄山閣、1965)「忍者の文献」に『万川集海』の諸本研究がある。これによれば大きく内閣文庫系と甲賀大原文庫系に分けられる模様。善本決定を中島先生も山口正之氏も行っていないが、国書刊行会本の校合をみると、伊賀市上野図書館本が他本の欠く部分を多く残しており善本であり、おそらく成立ももっとも古いのではないかと考えている。甲賀大原文庫系の特徴は私はよくわからないが、「将知三」がない系統の『万川集海』(内閣文庫本など)が一類をなしていると推測している。が、まあ全然諸本を見ていないので、これはあくまで仮説である。
『万川集海』には起請文(誓紙・誓文)たる話が散見し、忍びはよほど起請文好きなのかと思ったが、石岡久夫『兵法者の生活』「起請文の発生と流行」(雄山閣出版、1981)に兵法・武道界で起請文がよくとられた経緯や意義が書いてある。忍びだけが起請文をとりたがっていたわけではなさそうだ。「敬白天罰霊社起請文前書」も固有名詞というより、起請文に「敬白天罰起請文之事」など書いてある(たとえば兵法者の生活』63頁。宝蔵院流の起請文など)ことからの命名だろう。師範家において修行時の制戒や独立後における訓戒が必要だったそうである。今の大学院教育でも起請文をとってみれば効果あるかもしれないが、「修行者自身の心底からの自発的なものでなく、指導者から教示された、いわば強制的なものであった。だからこそ、俊英なる技能者があらわれたり、別流へ走るものもあらわれるという反面を否定することができない」(石岡前掲書68頁)そうだから、やめたほうがよさそうだ(そもそも神明に誓うのだから国立大学では無理)。