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(エッセイ)「忍者百人衆」と忍者装束の着こなし (吉丸雄哉)
2018年12月05日
平成30年11月24日(土)は東京で「忍者百人衆 江戸で伊賀/甲賀の気配を探れ」ウォーキングが開催された。もう五回目になるのだが、同時期に用事が入って一度も参加できていなかった。今年は幸いにして何もなかったので、初めて参加することができた。今年度はいよいよ人気が高くて、10月12日に申し込んだ私ですでに64番目で、そのあとわりと早く定員に達したそうである。
当日は事前の雨天の予報を裏切る快晴で、心配したほど寒くもなく、楽しく10キロほどの道のりを歩くことができた。引率の伊賀市の方も、同じ班の方々もお話上手で一緒に歩いて飽きなかった。毎日新聞や読売新聞で報道されたので、当分は記事を見つけられるだろう。
私は用があって、最後の愛宕神社には行かずに、一つ前のチェックポイントの増上寺から集団を離脱し、JR山手線浜松町の駅をつかって、ひとりで上野公園まで帰った。大勢で歩いているときは、忍者装束でも全然平気だったが、山手線にひとりで忍者装束で乗っていると浮く感じがありありである。さすがに電車内では忍者装束の私を見て見ぬふりを皆さんなさっていて、東京の方は大人だなあ、と思っていたら、宮崎から娘と孫に会いに来たというおばあさんに「どうしてそういう格好をなさっていらっしゃるの?」と聞かれることに。上野公園でやっている伊賀ニンジャフェスタの話をしたら、喜んでくれて、明日孫と手裏剣打ちをしてくれると約束してくださいました。会話から私が怪しい人間ではないとわかってくると、対面の座席に座っていたサラリーマン風のお二人がほっとした顔になって、やっぱりやばい感じに見られていたのかなあと。
上野公園に戻って更衣室に入ると伊賀市の岡本市長がお着替えなさっていて、明日は伊賀市のマラソンの号砲でまた着るからシワにならないようにたたまないとおっしゃっていた。岡本市長は最初のチェックポイントの穏田神社までご一緒して、そのあとは上野公園に一足先にもどってイベントに出演なさっていたのである。忍者装束がたいへんお似合いで、道行く外国人に呼び止められて写真を撮ってもらうことが頻繁で、風采さすがであった。
さて、私は伊賀市観光協会に作っていただいた自前の忍者装束がある。それにパーツやグッズを買い足して使っている。ネットで私の名前を画像検索すると忍者装束姿が多いので、大学の授業もそれでやっていると思う方もいるようだが、大学は普通の背広で授業をしている。2017年6月10日に東京日本橋の三重テラスで行われた「忍者・忍術学講座 in Tokyo」で伊賀流忍者店の店主福永真司さんに「本格忍者衣装の世界 身も心も忍者になるために」というテーマで忍者装束の着こなしをうかがった。福永さんによれば、足もとのシルエットが綺麗になっていることが重要だそうである。私はカルサン(袴)を履いているのだが、ついつい雑になってしまう。対談のあとに、福永さんにちゃんとアイロンかけてくださいねと言われて、それ以降、頑張ってアイロンかけるようにしている。今の忍者装束は、戦国時代に忍者が着ていたものとはもちろん違う。しかし、和装から離れてしまった現代人にとって忍者装束を着るのは、大なり小なり得るところあると、経験者は断言しよう。
ここで終わりにしてもいいのだが、「忍者百人衆」で履き物をよく聞かれたのでそれについて書いておく。本格派なら草鞋(や足半)、あるいは地下足袋を履くといいのだろうが、それだと膝や腰への衝撃がじかにくる。アスファルトの上を「忍者百人衆」のように10キロも歩くのはつらい。福永さんに勧めてもらったマルゴの地下足袋スニーカーを私はつかっている。マルゴはエアー入りの祭足袋も売っていて、これもお勧めである。(吉丸記)