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(エッセイ)「忍者」の技芸伝達(吉丸雄哉)
2018年12月18日
文芸・芸能といった虚構作品において「忍者」の技芸伝達(忍術の伝授)はどう描かれてきたか。「忍者」の技芸伝達(忍術の伝授)は、他の武術や芸事と同じ形式である。師匠に入門し、相伝(免許皆伝)まで段階的に技術を学ぶ。流派、宗家、伝書が存在する。弟子のうち優秀なものが最終的に後継者となり、一子相伝の教えをうけ、伝書をもらって次に師範(家元)になる。
石川五右衛門を主人公とする『賊禁秘誠談』(1750頃までに成)はその典型であって、伊賀国石川村の文吾(五右衛門)は郷士百地三太夫に弟子入りして忍術の教えをうける。
(百地三太夫は石川文吾を)則弟子と成て諸芸を教けるに、別て忍の術には生れ付にや稽古よりも勝て、三太夫も「早くも我道を継べき者也」と気に入て、秘密口伝をおしへ、第一の門弟と成ける。(『賊禁秘誠談 』2「石川文吾百地が門弟と成る事 」)
このような形態は近世期の忍者説話でも同じであり、忍者がいなくなった明治以降でも文芸に継続される。猿飛佐助と戸沢白雲斎(立川文庫や杉浦茂『猿飛佐助』(昭和48))、司馬遼太郎『梟の城』(昭和30)の下柘植次郎左衛門と葛籠重蔵・風間五平がそうである。
その後、村山知義『忍びの者』を原作とする山本薩夫監督『忍びの者』(大映、昭和37)など、忍者の集落で忍術を教える姿が描かれるようになる。白土三平『カムイ伝』(昭和39~) 雲水・赤目・カムイの関係や小山ゆう『あずみ』(小学館、平成6~平成20)も同様で、これは相伝を基本とする師弟関係でないのだが、学校というには校舎・カリキュラムがない。段階を経て物事を教えていくカリキュラムが前近代的な技芸伝達にもあるのだが、基本的に学習者にそのすべてを教えるようになっていないし、段階があがるごとに教えられるものがふるい落とされていく。
その点で尼子騒兵衛『落第忍者乱太郎』(昭和61~)の登場は画期的だった。基本的に普通の学校と同じように学年を上げて学んでいくからである。『NARUTO-ナルト-』の忍者学校も卒業だけなら難しくなさそうだ。
私は剣道をするので段位制度は身をもって知っている。段位制度がある古武術の道場生が「学校に来ているんじゃないんだぞ」と言われているのを院生の三橋さんは見たことあるそうだ。段位制度にも学校にもそれぞれ長所・短所あるが、段位制度で教えているのではなく、大学という学校で教えていることを私は意識して教育にあたっている。(吉丸記)