国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)忍術書の具体的方法と抽象的指針(院生 石井将文)

2019年07月29日

 忍術書には具体的方法と抽象的指針が共存しています。
 前回 ( http://ninjacenter.rscn.mie-u.ac.jp/blog/2019/0724-2/ ) 私は、忍者には少数人でのサバイバルと目的の遂行が求められるため、具体と抽象の両者をバランス良く習熟することが求められ、このような構成がなされているのではないかという解釈を提案しました。実際の忍術書の記述の例も交えて書いてありますので、ぜひご一読ください。
 今回は、そのような忍者の教えが、これからAIと戦わされていく世代として、役に立つ(私は役に立つことが好きです http://ninjacenter.rscn.mie-u.ac.jp/blog/2019/0708/)のではないか、という話をします。

 抽象と具体の行き来は、あらゆる仕事において大切だと思いますが、プログラマーは明確にそれを意識しないと仕事にならない職種であると思います。あるときはユーザーの使いやすさを考え、あるときはメモリリーク(短期記憶を使いすぎてパンク)が起きていないかというコンピュータのことを考えねばなりません。
 また、主君に重宝されるプログラマーにはプログラミングができることだけでなく、経営なり社会なりに貢献するという気持ちが重要だと思います。
 
 ところで、人間の技術の進歩というのは、つねに人を抽象へと向かわせる方向に進化してきました。かんなをかけられる大工は(宮大工さんなど例外をのぞき)年々すくなくなっているそうです。木材工場が機械で綺麗に作ってくれるからです。歩いて情報収拾する忍者ももはやいません。ネットも車もあるからです。ライターなしで火をつけられる人さえいません。このように、具体的で面倒臭いことを道具や機械にやらせていくのが基本だと思います。デジタルな仕事もどんどん具体的な仕事はAIに置き換わっていきます。一般に、抽象度の高い仕事が付加価値が高く偉いのだと思われています。プログラマーは、具体的で泥臭い仕事をどんどん機械にやらせ、人間をより高い抽象度に押し上げようとするのが仕事です。

 そこで、IT業界では会社を跨いだ分業化が進んできました。うちの会社はお客さんと話す。あなたの会社は画面を設計する。かれの会社はプログラミングする。どこかの会社がテストする。そして、下の工程に行くほど給与が低く、ブラックになっていく、というものです。この「多重下請け構造」と言われる忌まわしき業界構造が、さまざまな歪みを産んできました。

 最近の例では、 セブンペイ事件 ( https://www.jiji.com/jc/v7?id=1907sevenpay )があります。ずさんなプログラムにより、簡単に乗っ取りが行えるようになってしまっていたのです。明らかに、経営者も、設計者も、実装者も非常に基本的なセキュリティの知識がないとしか思えないということで炎上していました。平成は、分業がいきすぎた時代だったのではないでしょうか。
 令和では、ひとりの人間があらゆることに精通することが、より求められてくるのではないでしょうか。少なくとも、あらゆることに精通したいと思っている人と、俺の仕事はこの範囲だけと決めつけてしまっている人では、チームを構成したときに雲泥の差が生まれます。
 後者の人ばかりのチームは、責任の押し付け合い、ミスコミュニケーションが発生します。一方、抽象度の高い目的意識をしっかりもちつつ、具体的な方法論や知識をしっかり知っている人間がチームを組めば、良い仕事ができるのは間違いありません。
 令和の時代をしたたかに生きるために、忍者のように「何でもやる」覚悟をもっておくと、むしろ楽だと思います。

 上記のようなことを人に伝えるためのストーリーとして、みんなに(特に子供に)好まれる忍者に大きな可能性を私は感じています。
 忍者プログラマーたる私は、文武両道かつ忍プ両道で参りたいと思います。(石井記)