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(エッセイ)拙者 忍者でござるでござる(吉丸雄哉)
2019年03月04日
三重大学関係者が読売新聞伊賀版・伊勢版に「三重大発! 忍び学でござる」を2017年11月12日より連載して、2月10日で63号となる。私は芭蕉忍者説の検証を続けており、他に歴史・内外の文学・科学・実践的忍術などで執筆されている。
「三重大発! 忍び学でござる」という名称は読売新聞伊賀支局のYさんという男性記者がつけた。「忍び」と「拙者」「ござる」でいえば、忍者ライターの「忍者増田」こと増田厚さんが「ござる」口調で記事を書いている印象が強い。最近、youtubeに「忍者の忍者による忍者のためのYouTubeチャンネル Nintube」というチャンネルができた。現在三重大学大学院生で国際忍者研究センターブログを書いている「院生田中(仮)」その人が登場し、解説しているが、「拙者~ござる」が基本口調だった。
このように、忍者の口調は「拙者」「ござる」が定番になっている。このことを簡単に考察する。
日本語学には日本語学者の金水敏氏が提唱した役割語という概念がある。辞書の解説では、
役割語(デジタル大辞泉)
話し手の性別や年齢・階層を、聞き手(読み手)がそれと推測できる、型にはまった言葉や話し方。老人の使う「わし」や「じゃ」、明治の女学生語に始まる「てよだわ言葉」、上流階級の婦人が使う「ざあます言葉」など。小説や劇画などで、会話だけで登場人物の性別・階層などを示すのに便利に使われる。
とある。実際には「わしは~じゃよ」とか言う老人はいないのに、創作ではそういうのが決まっているなど、実例は容易に想像がつくだろう。
さて、「忍者」と「拙者」「ござる」がいつの間に結びついたのだろうか。
これに関して、尚絅学院大学の秋月高太郎氏がずばり「忍者の言語学」(尚絅学院大学紀要68号、2014)と「ござるの言語学」(尚絅学院大学紀要69号、2015)という論文を書いている。とても興味深い論文で、CiNiiを辿って機関リポジトリから無料で読めるので、是非御覧いただきたい。「忍者の言語学」では忍者のキャラクターを老忍・少年忍者・青年忍者・女忍者の言葉遣いをマンガをつかって考察している。少年忍者に関して、杉浦茂『猿飛佐助』(1954~55)に「せっしゃは さるとび さすけで ござる」あることから、昭和30年代に「すでに『せっしゃ』や「ござる」が忍者キャラクターまたは「侍(さむらい)」キャラクターの役割語として用いられていた可能性は高い。」(33頁)と述べている。
興味があって、手持ちの立川文庫『猿飛佐助』(1914)に軽く目を通してみた。なお、立川文庫の猿飛佐助は少年忍者ではなくて元服した武士である。この佐助だが、常に「ござる」とは言わないものの、「ござる」を使っている箇所はちゃんとある。主君の真田幸村との応対で「猿飛佐助は武士でござる。万事御安心下さいませ」(69頁)、「幾等仰せあっても同じ事、猿飛佐助は武士にござる」(72頁)などと述べている。目上である幸村への応答は「ござる」よりも「ございます」のほうがめだち、「ハツ何か御用にございまする」(68頁)「私一存に許したに相違ございません」(同頁)「武士の面目末代迄の名折れと心得、差し許したる儀にございますれば」(同頁)などと使われる。これはもともとが立川文庫は講談をもとにしており、立川文庫全体は書き言葉といえ、会話文では佐助の口調も講談と同じになっているからだろう。マンガ以外の資料もつかって、忍者の役割語の成立過程を誰か調べてくれるとありがたい。
忍者で「拙者」「ござる」口調といえば、1973年生まれの私だと『忍者ハットリ君』の印象が強い。秋月氏も「じゃ」がすたれて「ござる」が使われるようになった過程の論証に『忍者ハットリ君』の最初のマンガ版(1964~68)を用例に出している。Yさんは現在満50歳だそうで、今の四十・五十代にはその影響強いと私は思っている。