国際忍者研究センター

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(学生通信)歴史研究用Webアプリ 元号郎 -Gengoro- のご紹介(院生 石井将文)

2019年07月18日

前回のブログでお話しした通り、私は歴史に関しては完全に門外漢で、その代わり情報学の専門性を身につけてきました。
はじめは、分野のギャップに苦しんでいましたが、だからこそできることがあるのではと思い、自分が困った経験と持てる技術を生かして、歴史研究補助ツールを作っています。
その第一号がこの元号郎です。

http://gengoro.fumi.ninja

ぜひ、アクセスしてみてください。面倒なインストールはいりません。PCでもスマホでも、アクセスした瞬間に使えます。

古文書を歴史の中で位置付ける上で重要な要素の一つは、それがいつ書かれたかということで、多くの古文書には「何年」と書かれているのですが、その「何年」の表記法が厄介です。
まず、もちろん西暦などというものは使わず、基本的に全て元号で表記します。 1706年と書くのではなく、宝永三年と書きます。
そこまでなら、理系の私としても想定範囲内でした。現代の文書もそのように書きますから。しかし、古文書は一筋縄ではいきませんでした。

なんと、元号 + 十二支で、「宝永 戌年」と書かれていることも多いのです。
その時代に生きている人ならば、「今年の正月は戌で祝ったから今は戌年だっけ」と思い出せるのかもしれませんが、年賀状もろくに書かないゆとりの私はお手上げです。
また、元号なしに干支に頼って「丙戌年」としか書かれていない場合もあるようです。ひどい場合、カジュアルな文書では、十二支のみで「戌年」としか書いていないものもあります。とにかくいろんな表記があります。

真の歴史研究者ならば、すべての元号と西暦の対応を覚えていて、例えば元禄5年と宝永3年の間が何年はなれているかなど、即座にわかるのでしょうか。残念ながら私はそこまで頭が良くないようです。
元号と西暦との対応はおろか、順番もわからなければ、どんな元号があるかもわかりません。
さらに悪いことに、くずし字の読解能力もまだまだですので、古文書に書いてある元号の文字が、読めないということもあります。
干支にも不慣れなため、例えば未年から子年が何年はなれてるかと聞かれても、パッとはわかりません。

さて、そのような問題山積みの私は、自分のために元号郎-Gengoro-を作りました。
Gengoroでは、元号年 – 西暦年 – 干支の3つの対応が横に並んで表示されるため、パッと見て理解することができます。
また、上部にある検索ボックスには、元号年、西暦、干支のうちどれを入力しても、対象年を検索可能です。例えば、1706と入力すれば、「1706年 – 宝永3年 – 丙戌」という3対応の行がハイライトされますし、逆に宝永3と入力しても同様です。また、丙戌と干支を入力して、アタリの年を指定しても、特定することができます。

さらに、くずし字が苦手な人のために、元号の片方の文字だけでも解読できれば、その文字が使われている元号の候補が推薦されます。

このように、古文書からの年号の特定に関して欲しい機能はほとんど揃っているのではないでしょうか。

さて、元号や干支に興味をもった私は、元号郎でいろいろ遊んでいました。例えば干支の名前を冠する事件を調べて、「大化が本当に最初の元号なんだなあ」とか「寛永通宝ってこの時期なのかあ」とか「南北朝時代はそれぞれの朝廷に元号があったんだなあ」とか楽しく眺めていました。
その中で、明治1年の戊辰戦争の「戊辰」についてGengoroで調べてみると、なぜか「戊辰」年は改元が多いことに気づきました。明治1年の120年前は寛延1年。そして、その60年前は元禄1年です。
そのことについて調べてみたら、改元理由の一つに「革年改元」といって、特定の干支の年(甲子、戊辰、辛酉)は改元する慣習があることがわかりました。甲子園でおなじみの「甲子」は、神亀元年、康保元年、万寿元年、応徳元年、天養元年、元久元年、文永元年、正中元年、至徳元年、文安元年、永正元年、寛永元年、貞享元年、延享元年、文化元年、元治元年なのだそうです。
残る「辛酉」についても、果たして本当に改元が多いのか、気になりませんか? Gengoroで調べれば直感的にわかりますので、ぜひ遊んでみてください。(院生 石井記)

http://gengoro.fumi.ninja/