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(エッセイ)忍者とかアメリカとかアーミッシュとか (酒井裕太)
2019年03月20日
今月初め、親族の住んでいるアメリカはペンシルベニア州に行ってまいりました。10日にはオハイオ州にあるクリーブランド州立大学の教室で伊賀と忍者の話をしてきました。一職員の自分がどれくらい面白くそして正しい知識を広められるかという心配もありましたが、意外に忍者だけではなく、槍の名人・高田又兵衛や剣豪・荒木又右衛門などの話などの話も盛り上がりました。前者は、やはり世界でも名の知れた宮本武蔵と闘ったという逸話があることや、後者は「強いサムライが多勢の敵と決闘して勝利する」というシンプルかつダイナミックな逸話があるので、伝えやすかったです。以前勤めていた会社にマラソンが好きな方がおり、大会時には勝手に社名入りのゼッケンをつけてPRする人がいました。よく考えれば今回の私のアメリカでの講座も、伊賀市・名張市に頼まれてもないのに勝手に伊賀地域の宣伝をしに行ったという感じでしょうか。幸いにも仕事柄、国際忍者研究センターの先生方の講座やその過程を間近で見る機会に恵まれているため、語弊はありますが忍者に関する話を「盗み取る」ことができたのが、自分の講座がスムーズに行えた秘訣でしょうか。
しかし、12年ぶりに訪れたアメリカは入国審査が厳しく、時勢を感じるところがありました。手荷物の中に身内の遺骨を入れていたのですが(もちろん、許可証と共に)、私のカバンはX線検査に引っ掛かってしまい、一時的ですが取り上げられてしまいました。遺骨を没収されてはたまらんとひやひやしました。職員は遺骨を手に取り確かめると、一言も言わずカバンに戻してくれて一安心したのですが、ホッカイロを手にすると他の職員を呼び出し、これはなんだと相談し始めました。手荷物チェック前に「終わるまで、さわるな、話すな」等、釘を刺されていたので「ただのカイロだよ」という言葉を喉元でこらえる時間が続きました。遺骨もホッカイロも無事通過し、12年ぶりにアメリカに入国できました。
講座以外にもしっかり観光もしてきたのですが、中でもアーミッシュと呼ばれる人々のお宅に訪問させていただけたのはレアな経験でした。アーミッシュとは何か、を語ると書ききれないですが、端的に言えば現代でも電気を使わず、移民としてアメリカへ来た当時の生活様式を守り続けているドイツ系の人々です。移動も馬車で、アーミッシュの多い地域では道端に馬車が走っていても皆さん日常風景のように気にも留めません。偶像崇拝が禁止で、基本的に写真撮影もダメです。アーミッシュの子供たちが遊ぶ人形には顔がないのが特徴です。100%自給自足かというとそうでもなく、作った農作物や工芸品を販売している人もいます。農業関係の仕事をしているためにアーミッシュと親しいという現地の方に仲介してもらい、その繋がりでアーミッシュの家庭に招いていただきました。初めて来ただろう東洋人が珍しそうで、子供たちが寄ってきました。まだ雪が残るというのに裸足ではしゃぐ子供もいて、「幸せとは何なのか」などと、うさんくさい思考に一瞬陥ってしまいました。
それと同時に、「伊賀の国からはるばる来て、アーミッシュの家庭内に入り込むことに成功したぜ」という、幼稚な忍者的思考にも陥りましたが、昔の忍ノ者のやり方にあたらずとも遠からずかなと思ったりもした、アーミッシュ訪問でした。(酒井記)