国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)伊賀者の家に古文書調査へ!(院生 嵩丸)

2020年07月14日

 みなさまこんにちは!修士3年の嵩丸です。

 忍者・忍術学コースの授業は、それはもう忍者マニアにはたまらない内容の連続なのですが、昨年の授業の中でも1・2を争うほどの興奮をしてしまった演習がありました。それは、藩お抱えの伊賀忍者の末裔の家に行き、その家に保管されている史料を調査するという、とても貴重な授業です!

 今でこそすっかりオンライン授業となりましたが、昨年度まで僕は関東から毎週三重まで通っていました。時間的にも費用的にも体力的にも週1回行くだけでかなりきっついのですが、その伊賀者の家に資料調査に行く演習は、先方のお宅のご都合もありますから、授業の日とは別の日に設定されてしまいました。仕事も休まなければなりませんし、出費も嵩んでしまうのでとても悩みましたが、これはもう行くしかありません。

 なぜならその家は「貝野家」といって、藤堂藩に伊賀者という役職が設置されてから唯一初代〜最後の代までずっと伊賀者を務めていた生粋の忍者の家なのです!!中世では服部・百地・藤林が三大上忍などといいますが、何をもって三大上忍なのかの根拠はあまりはっきりしていません。(ここはどこかで改めて再整理したいですね)一方で250年以上も正しい役職として伊賀者を務めた家だなんて、それはもう間違いなく上級の忍者の家じゃないですか。その家にお邪魔できるんだったら、それはもう万難を排して行くしかないじゃないですか!

 ということで、夜行バスに乗って伊賀まで調査に行ってきました。高尾善希先生をはじめとした国際忍者研究センターの方々と一緒に、伊賀市才良の地に赴きます。雰囲気のある古民家が立ち並んだ住宅街の一角に、その家はありました。立派な長屋門を構えた先に待っていたのは、なんともご立派な中庭とお宅…!伊賀者の末裔であらせられる上品な貴婦人が顔を出され、気さくにお宅へと上げていただきました。

 家のことや史料発見の経緯など少しお話を聞いた後、その貴婦人は奥からこれまた古めかしい木箱を取り出して、僕たちの前に置いてくださいました。木箱の蓋を開けると、そこには大量の古文書が所狭しと顔を覗かせているではないですか!由緒書や手習本などが多数あったのですが、なんとその中にはあの忍術書「万川集海」までもが!忍者の家から忍術書が出てきた瞬間!アツすぎる!このときの僕の鼻息は、きっとスペインの闘牛よりも荒かったことでしょう。

 一通りお話をした後、センターへと持ち帰って写真撮影を行いました。このとき、センターの研究員から史料整理の手順、中性紙封筒の扱い方、撮影のコツなどをご教示いただきながら作業を進めます。全部終わる前に帰る時間となってしまったため、途中で失礼をさせていただいたのですが、最後までやりたかったです。。残念。。

高尾先生の授業では、今この「貝野家文書」を読んでいます。親戚の中には百地の人間もでてきたり、江戸勤めの際の火事や逃げた人の捕縛、幕末に近づくにつれての異国船対応など、伊賀者がどんな任務を行っていたかの様子がわかるような記述もあり、大変興味深い史料です。1年目に読んだ木津家文書も併せて検討をしていくと、だんだんと伊賀者の態様がわかってきていて、これまで謎に包まれていた忍者の謎が少しずつ解き明かされてきています。忍者の史料、これからもたくさん見つかるといいなと願って止みません!(嵩丸記)