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(学生通信)伊摯と呂牙が間諜であることについての分析(院生 リトクヨウ)
2020年07月23日
こんにちは、修士一年生のリトクヨウです。
最近、「万川集海」を読んでおるが、気になった部分がいくつかがあるので、今回、その一つを挙げて検討したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
それは「孫子」の「用間編」に書いてある『昔、殷王朝が始まるときには、建国の功臣伊摯が間諜として敵の夏の国に入り込んだ。周王朝が始まるときには、建国の功臣呂牙が間諜として敵の殷の国に入り込んだ』という部分です。「万川集海」にもしばしば引用されていますが。伊摯と呂牙が本当に間諜だかと疑います。この前の「用間編について④」にはこの部分に関するわずか書きましたが、中国では伊摯と呂牙が間諜だとしてあまり認められていないです。この二人は常に儒教の聖人として、王朝を立てるには中心作用を果たして世間に認識されていますが、決して「間諜」ではないです。何故なら、いくら間諜が重要だとしても、暗闇の仕事で「君子」に合わないです。ネットでいろいろと調べたら、間諜ではないとは否定できないと思われます。
歴史上には伊摯は二回夏王朝に行きました。一回目はその政治や百姓の状況などを考察しに行きました。二回目は情報収集の他に最も重要なのは当時に桀王に愛される妺嬉を寝返らせ、色仕掛けで桀王に誘導し、夏王朝の内部から崩します。だから、伊摯は例え間諜でなくても、その間諜の大切さが分かっています。
呂牙が間諜としての活動は古籍にもあまりみられないようですが、武経七書である「六韜」が呂牙によって著作されて、「間諜」という言葉が「六韜」に書いてありますが、実際に「六韜」はおよそ戦国時代に編纂されて、著者は不明なので、裏付けできないです。但し、もう一つの手がかりは実は呂牙には二つ苗字をもっています。呂は商王があげる苗字で、商に属し、恐らく呂牙ずっと長い間、商で生活をしています。(72歳から周を補佐しはじめる)もう一つは姜であります。「太史公書」「詩経」によると、姜という苗字を持っている人は昔からも周の人と姻を結んでいます。この二つの苗字を合わせたら、呂牙は確かに長い間、商で生活をしていますが、なかなか重用されていないので、周に行きました。長い間なので、随分商に詳しく知っています。或は最初からも陽忍みたいな感じで商で生活しながら、情報収集し、長年を経って最後に一気周を補佐して商を滅ぼすという推測ができます。
以上で、伊摯と呂牙が間諜ではないとは言えないと思いますが、引き続き、色んな資料を読んで、この点について気を配ります。どうぞよろしくお願いいたします。(院生 リトクヨウ記)