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(学生通信)中国春秋・戦国時代の兵家たち―孫臏①(院生 リトクヨウ)
2020年12月16日
みんなさん、こんにちは、三重大学忍者研究院生一年のリトクヨウです。今回、もう一人の孫子である孫臏について、書きます。どうぞよろしくお願いいたします。
孫武が死んで百年あまりして、孫臏が出た。孫臏は斉の阿(山東省阿城県)と甄(山東省濮県)のあたりの生まれで、孫武の子孫の一人である。孫臏は若いころ、龐涓とともに兵法を学んだ。龐涓は魏の恵王(在位、前三六九―前三一九年。戦国時代の年号の表記及び西暦の換算はすべて楊寛『戦国史』所収の「戦国大事年表」によった)に仕えて将軍となったが、自分の能力が孫臏に及ばないのを自覚していたので、(恵王に推薦するつもりで)ひそかに使者をやって孫臏を魏に迎えた。しかし、孫臏が来てみると、改めて彼の才能が己に数倍するのを痛感して、妬ましさを覚えた。その妬ましさはさらに憎しみに代わり、ついに恵王に讒言して彼を罪におとし、その両足を切断するとともに、顔にいれ墨をいれさせた。こうして、彼を世間から葬り去ろうとしたのである。
この時、斉の使者が大梁(魏の都。今の河南省開封)に来た。刑余の人として世を憚って暮らしてきた孫臏は人目を忍んで斉の使者を訪ね、己の識見のほどを披露した。使者はその才能に感服し、ひそかに自分の車に乗せて斉につれ帰った。斉の将軍田忌は彼に会ってすこぶる気にいったので、賓客として自分の館に住まわせた。
田忌は斉の公子たちとしばしば大金をかけて繋駕(けいが)競走(きょうそう)を楽しんだ。孫臏はそれらの馬車を観察して、足の速さがだいたい同じではあるものの、それでも上・中・下の三つに分けることができるのを見抜いたので、田忌に言った。
「将軍、思い切り賭けてごらんなさい。私が必ず勝たせて差し上げますから」
田忌はその言を信じて、王や公子たちに千金を賭けようと申し出た。いよいよ勝負というとき、孫臏は言った。
「将軍、あなたの最も足の遅い馬を相手の最も速い馬と組ませ、あなたの最も速い馬を相手の中等の馬と組ませ、あなたの中等の馬を相手の最も遅い馬と組ませてごらんなさい」
こうして三組の勝負が終わったとき、田忌は二勝一敗で斉王の賭け金千金をわが物とすることができた。このことがあってから、田忌は孫臏を威王(在位、前三五六―前三二〇年)に推挙し、威王は兵法について質問したうえで、軍師に取り立てた。
はい、以上で、今回ここでお終わりしたいと思います。今度も引き続き、孫臏について書きます。(院生 リトクヨウ記)