国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(エッセイ)隅取紙の割符(吉丸雄哉)

2021年01月19日

 2021年1月11日(月祝)にララスクエア四日市にて“伊賀之忍者衆 羅威堂”による「忍者ショー」と“忍び衆 華武姫”協力による「忍者体験」が行われたようで、FacebookフレンドのFさんのページで拝見した。「忍者体験」のほうは、定番の手裏剣打ちのほか、割符合わせと巻物釣りが行われたようである。
 合言葉(相詞)は忍術書『万川集海』巻七、巻十五に使用例が書いてあるし、巻九には合言葉を聞き出す必要性が書いてある。割符の使用例は知らなかったのだが、平山優「戦国時代の忍びの実像」(『忍者研究』3、2020)に、透波が割符をつかった例が『甲陽軍鑑末書』下巻下八にあると記してある。最近の大学院の授業で、学生発表に引用されていたので覚えていた。「透波は昼間は山に隠れており、味方のところに来る際には、身分証明のため隅取紙の割符を提示したという」(5頁下)とある。隅取紙(すみとりがみ)とは「方形の紙の四隅を切り取ったり折り込んだりしたもの。特に、両端を末広に畳み重ねて、根を串の先端に結び垂れ笠標(かさじるし)や指物(さしもの)としたもの。」(日本国語大辞典2版)というもので『武用弁略』などに図があるが、御幣のように、棒に畳んだ紙がついている状態を想像してもらえばよい。
 日本人なら日本史の時間に習うので、割符といえば勘合貿易で使われた、字を半分に割った勘合符を思い浮かべるようだ。中国人の留学生だと、中国王朝で役人や軍隊の指令につかわれたものを思い浮かべるようである。
 先の隅取紙の符丁について「符丁で、味方の透波であることを確認したという記録は、管見の限り、他では類例がない」(5頁下)と平山優も書いており、私も珍しいと思うし、「隅取紙の割符」がそもそもどういう形なのかよくわからない。こういったものは忍者に限らず軍隊でつかっていたはずで、軍事史に詳しい人なら知っているかもしれないし、いずれ研究が進展すればわかるかもしれない。
不明な点はまだまだ多いが、忍者が割符をつかったのですかと聞かれた際に、つかったといえるだけの根拠にはなりそうだ。(吉丸記)