国際忍者研究センター

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(学生通信)中国十大刺客①(院生 鄒開宇)

2021年05月07日

 皆さん、こんにちは!中国から来た三重大学大学院人文社会科学研究科の鄒開宇です。前回は中国の春秋時代の呉国の刺客の要離を紹介しました。今日は引き続き中国の十大刺客を紹介します。今日は『史記・刺客列伝』に載せられた第二位の人物を紹介したいと思います。
 曹沫(生没年不詳)、魯国曲阜(現山東省曲阜市)人、魯庄公時代の力士で「曹沫劫斉桓公」の物語があります。曹沫は曹劌と同一人物である説もあるが、ここまで確証されないです。
 曹沫は勇敢であり、また計略力も強かったと伝えられていて、当時魯庄公が力士が好きなので、彼を賞賛していました。ゆえに曹沫は勇猛な力を持っていて、魯国に勤めています。当時斉国の大名の斉桓公は管仲を相に任用し、国勢が強くなる一方で、対外拡張を始めました。すると近隣の魯国は斉桓公の重要な攻撃目標となりました。鲁国の軍隊は最初の斉鲁両国の长匙の戦に勝ちたが、斉国は国力が強くて、整備した後も引き続き攻撃してきます。鲁庄公は曹沫に軍隊を統領して斉国の侵略軍と交戦するよう命じたが、曹沫三つの戦で三回戦敗し、軍隊も土地も喪失してしまいました。連戦連敗のため、曹沫は恥じ入って、自ら魯庄公に罪を謝ります。だが魯庄公は斉国を恐れて、遂邑という町を割譲すると決まるが、また曹沫を将軍にします。その一方、斉桓公は魯庄公と柯で土壇を建てて同盟を結ぶことにした。
 その日、儀式を行われているうちに、土壇で魯庄公と一緒に祈る斉桓公は突然短剣を持って飛び来る曹沫に挟まれました。でも斉桓公の左右には誰も動けませんでした。管仲は曹沫に「何をするつもりなのか?」と聞いて、曹沫は「今更魯国は都の城壁が倒れたら斉国の辺境に押しつぶされるほど危うい。斉国は強いが、魯国は弱いと言っても、強大な斉国はここまで戦災を魯国にもたらすのが酷くないか?これからどうすればいいかをよく考えろ」と言い返しました。どうすればいいかよく考えてください。」斉桓公は曹沫に殺されるのを怖がして、鲁国から奪った土地を帰還すると約束します。すると曹沫は短剣を捨て、土壇を降りて北に向かい、群臣の中に戻っても顔色が変わらず、辞令はいつものようでありました。
 斉桓公は極まりないほど怒って、約束を破ろうと思います。だが管仲は「どうかご遠慮下さい。一時の気分のこんな小さな利益をむさぼってはいけません。諸侯の威信を失墜させ、天下人の信頼と協力を失うより、むしろ返そうではないでしょうか。」と勧めました。斉桓公は三回の戦で奪った魯国の城を魯国に返しました。曹沫はその忠誠と勇気と上手い辞令をもって、無事に土地を取り戻すのが超人的な壮挙ですよね。(院生 鄒開宇記)