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(学生通信)中国十大刺客③(院生 鄒開宇)
2021年05月11日
皆さん、こんにちは。中国から来た三重大学大学院人文社会科学研究科の鄒開宇です。前回は中国の春秋時代の魯国の刺客である曹沫を紹介しましたが、今日は引き続き中国の十大刺客を紹介します。今日は第三位を紹介します。彼の記録は同じく『史記・刺客列伝』に登場し、『戦国策』にも記載される中国戦国時代の四大刺客の一人でもあります。
今日紹介したいのは聶政(じょうせい)(?―紀元前397年)です。彼は中国の戦国時代の魏国軹(ちょく)県深井(しんい)里(り)(今の河南省済源(せいいん)県轵城南)に出身する人です。春秋時代の末期に韓国の高級貴族の厳仲子(げんちゅうし)は丞相(じょうしょう)の韓傀(かい)(字は侠累(きょうるい))から迫害を受けて他国に亡命しました。厳仲子は侠客を探し当てて自分の仇を討つことを望んで各地を旅して、韓傀を暗殺するつもりです。その後、人を殺して斉国へ仇を避けに母と姉を連れて流亡し、市場で隠れて犬を殺し、狗肉の商売をする魏国人の聶政と聞きました。聶政は親孝行で仁義のある人であり、武功が優れています。厳仲子は斉国に行き、聶政の住所を見つけて、何度も尋ねました。そしてお酒とお肉を用意して、聶政の母親に贈り物をして、大量の黄金も聶政の母親に贈りました。聶政は受け入れないことを堅持したが、彼はもう心の中で厳仲子を知己として認めました。
長い間、聶政の母は亡くなりました。彼女を埋葬してから三年間の葬式が終わるまで、聶政は厳仲子に会うことがないが、葬式が終わると聶政は厳仲子を訪ねに行きます。
「私は豚や犬を殺して肉を売る職業をする庶民にすぎないです。厳仲子は貴族にも関わらずが、遠いところに住んでいる私にわざわざお目にかかりにいらっしゃるのがありがたい極まりがないです。このようなお恩に対する友情は浅すぎて微々たるものです。大きな功労がないと、私にとって恩返しすることができないんです。お金を捧げて、私の母に贈ることを断ったが、私のことをよく分かると表しました。賢徳の人は少しの恨みに憤りを感じて、私のこの辺鄙な貧困な屠殺夫を側近と見なして、私はどうしてひたすら黙っていることができますか?それに、前に私を誘う時には、母がまだ生きているから答え難いというものです。今は母が亡くなって、私を恩人のために力を尽くすべきです。あなたの敵は誰ですか?これをやらせてください。」
厳仲子はもとから彼に言いました。「俺の敵は韓国の宰相侠累で、やつは韓国の国君の叔父だ。住む所の兵士は防衛が行き届いている。刺殺を望んでいるが、遂行できない。俺を嫌わぬ、お願いを承諾してくれるのがありがたい。君の助手として、壮士を増員させてください。」聶政は「韓国の丞相を暗殺するばかりか、丞相はまた国の君の親族で、このような情勢の下で多くの人に行くことができないんです。なぜなら人が多くなるときっと意外なことが起こします。意外なことが起こすると情報を漏らしたら、あれは全体の韓国人と仇になるのに等しくて、これは危険すぎませんか?」と言い、そこで厳仲子の申し出を断りました。
聶政は厳仲子を離れて一人で剣を持って韓国に行きます。韓国の丞相侠累はお宅に座っています。兵器を持って警備している侍衛が多いです。聶政は直撃して入って、階段に上がって、侠累を刺殺しました。左右の人が大慌てで、聶政が大声で叱咤(しった)し、数十人を殺しました。しかし彼は侍衛にひどく傷を負われました。彼は自分が死にそうだと知っていますが、自分の姉を巻き添えにしないために、自分で剣で顔を壊して目を掘って腹を切って死んでしまいました。韓国人は聶政の死体を市に置いて公表して、お金を出して調べているが、彼を知る人が出ませんでした。そこで韓国人は告示懸賞を出して、侠累を殺す人を言い出すことができる人へ賞金を与えます。しかし、長い間、彼が誰と知っている人がいませんでした。
韓国の王から懸賞金千金を出すが、誰も彼の名前を知らないで、彼の死体をそのまま陳列しています。聶政の姉聶荌(いん)(或は「聶栄(えい)」)は韓国の丞相を刺殺した人がいると聞きましたが、犯人は一体誰なのか分からないけど、弟であるかどうか確認のために出発して、韓国の都に行って、街に来て、死者はやはり聶政と気づいて、死体の上で腹ばいになって泣いて、とても悲しいです。「これはいわゆる魏国軹(ちょく)県深井(しんい)里(り)の聶政ですよ。」と言いました。でもある韓国人は「この人は我が国の丞相を残酷に殺害しました。王に懸賞金を出して、どうやっても凶手を探したいです。こうしても死体を見分けに来ますか?」と言いました。聶荌は彼らに答えて言いました。「それが分かります。しかし、聶政が恥ずかしい思いをにも関わらず、豚の肉を売る人たちの間に隠れているのは、母親が健在で、私はまだ嫁になっていないからです。その後母が逝去して、私はすでに嫁になるだけでなく、厳仲子は貧しい境遇から弟を選んで彼と付き合っています。深い恩を感じている弟はどうすればいいですか?勇士はもともと知己の人のために命を犠牲にすべきでしたが、今はまだ生きている私が巻き添えにならないようにして、次々と自分の顔と体を壊して、人に見分けられなくなりました。それに対して身を滅ぼす災いを恐れて、弟の名誉を永遠に埋もれさせるわけにはならないです。」回りの人たちは大きに驚きました。聶荌は「天よ」と三回大声で叫んで、やっと過度の悲しみで聶政のそばで死んでしまいました。
晋、楚、斉、衛などの国の人はこの事を聞いて、すべて感服しました。(院生 鄒開宇記)