国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)『忍者と玉秀斎 その3』 (院生 四代目・玉田玉秀斎)

2022年05月17日

 玉田玉秀斎の名跡を復活させることは決まった。
 そこで、問題となったのが玉秀斎の代数のことだった。
 今、ジャパンナレッジで「玉田玉秀斎」を検索してみると、日本近代文学大辞典に当たる。そこには『玉田玉秀斎(二代目)』と結果がでる。
 その内容は二代目・玉秀斎が立川文庫と関わっているというものだ。
 今まで出版されている多くの書物も二代目・玉秀斎が立川文庫に関わり、猿飛佐助を世に広めたというような事が書かれている。
 しかし、「それは間違いだ」というのが師匠・南陵の言葉だった。
「速記本とか、新聞の公演記録見ていたら、どうも初代・玉秀斎と立川文庫の玉秀斎の間にもう一人玉秀斎がおるんや」
 その言葉は「講談師 見てきたような 嘘をいい」の講談師の顔ではなく、講談速記本研究者としての顔だった。
 実は師匠・南陵は講談速記本の研究者でもあったのだ。
『明治期大阪の演芸速記本基礎研究』、『続・明治期大阪の演芸速記本基礎研究』、『続々・明治期大阪の演芸速記本基礎研究』と三冊の本も出版されている。
それぞれ479頁、675頁、387頁という大著で1500頁以上に及ぶ力作である。
 これらの研究を元に62歳の時に、芸術文化学(大阪芸術大学)の博士号も取得された
 そんな南陵が「もう一人玉秀斎がおる」とおっしゃって、色々と根拠を語られた。
 お伺いしながら、玉秀斎のことを喜々と調べて下さった師匠のお姿に玉秀斎の偉大さを感じた。
 師弟とは本当にありがたいものだ。
 その有難さをまた後に実感することになる。
 こうして、時は過ぎ、2016年11月25日、国立文楽劇場で五代目・旭堂小南陵と共に四代目・玉田玉秀斎襲名披露公演をさせて頂いた。
 玉秀斎としての生活がはじまった。
 まだ、お客様、関係者の皆様方からは「南陽さん」と呼ばれる。
 自分も思わず、「旭堂南陽です」と答えてします。記
 新しい人生はなかなか慣れない。
 しかし、そこに一本の連絡が入った。
 ここから、また物語が動き始めますが、来週のお楽しみ!!(院生 四代目・玉田玉秀記)

※玉秀斎の代数についてもっと詳しくお知りになりたい方は
吉丸雄哉先生の『忍者とは何か』(角川選書、2022)419頁『玉田玉秀斎代々について』をご覧くださいませ。