国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)忍者と玉秀斎 その9』(院生 四代目・玉田玉秀斎)

2022年07月29日

 その日も安来アルテピアホールでは世界の素晴らしい音楽が奏でられる準備が進められていた。
 そんな隙間の時間に関係者が一人の男性と近づいてきた。
「玉秀斎さん、この方が忍者です」
「えっ、忍者?」
 見ると普通の格好なので、
「忍者の衣装とかは着ないのですか?」
「ふふふ。普段は普通の格好です。週末になると松江城で忍者としておもてなしをしています」
「そうなんですね」
 と簡単な挨拶を交わすと、忍者談義がはじまった。色々と話したその中で
「実は松江では三重大学の山田先生がお越しになられて、忍者の調査がされているんです」
「えっ、三重大学?」
「はい。ほら、三重大学は忍者の研究が盛んですから・・・」
 また、三重大学が登場した。
『安来』『鋼』『ワールドミュージック』の現場で『三重大学』『忍者』『山田先生』というキーワードに出会ってしまったのだ。

「では、またお会いしましょう」とその忍者は姿を消した。

 自宅に帰って数日後、忍者から『松江・堀尾吉晴と忍者』にまつわる資料が届いた
「堀尾吉晴と忍者?結びつかないなぁ…。古典講談の中で堀尾吉晴は出てくるけど、忍びは使っていないもんな。でも、そっちの方が忍びらしいのか。『めっちゃ活躍しました』って忍びがアピールしたら、『お前は忍んでおけ』って怒られそうやもんな。ふふふ。それにしても、堀尾吉晴と忍者か…」

 これがきっかけとなり、後に忍者講談を創作することになる。
 それが松江観光協会HPで公開されている『国宝松江城を作った武将・堀尾吉晴と忍者』だ。

 師匠・南陵は玉秀斎の良さを安倍晴明伝に求めた。
 安倍晴明ブームの中で南陵はあちらこちらで公演。
 その会場の外では『チケットを譲って下さい』という看板をもった若き女性が立っていたという伝説を残すほど、その公演は盛況を極めた。
 しかし、どうやら僕は安倍晴明ではなく、忍者らしい。

 忍びたちがぼくの周りで暗躍し始めた。
 まだ、見えぬ形で・・・。(院生 四代目・玉田玉秀斎記)