国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
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(学生通信)『忍者と玉秀斎 その4』(院生 四代目・玉田玉秀斎)

2022年05月20日

 一般的に、名前が何度も変わる事はない。
 それを2回目も経験するなんて、不思議な人生だ。
 本名での生活から、講談師・旭堂南陽となり15年。
 生活の殆どを南陽として過したが、不思議なことに本名としての人生はどこかに行き、「旭堂南陽」という人として生きていた。
 名前が人をつくり出し、新しい世界の住人に勝手になっていた。
 そして、今度は15年お世話になった「旭堂南陽」を飛び出して、「玉田玉秀斎」として生きることになる。
 すると、そこではまた違う世界が広がっていた。
 どんな世界が広がっていたのか、それが四代目という継承の世界だ。
 僕の場合、四代目と言っても、先代が1919年にお亡くなりになっているので、97年ぶりの復活。先代とは何の面識もない。直接のご家系も残っているわけではないので、その人となりも知る事ができない。
 また「玉田」の屋号自体が消滅したので、頼る先輩もいない。
 つまり引き継いているモノは何もないはずで、全く新しい玉田家の歴史を作る立場にある。
 と言っても、当然好き勝手にやっていいはずもなく、四代目を継ぐ者として、玉田家とは何なのかを考えなければならない。
 歴代の玉秀斎、また「玉田家」とはどうあるべきか。
 こんな事を考えさせられる事が「玉田」の者となった証拠だ。
 玉秀斎を継ぐまで、僕の人生で一度も考えなかったことを考えさせられる。
 これが継承の重みなんだと思う。
 そして、継承をするということは、過去の「玉田家」「玉秀斎」がしてきたことも背負うことになる。
 それが「忍者」だ。
 玉秀斎を継いだことで、「真田十勇士」に関わる方々から連絡があるようになったのだ。
 この続きはまた来週のお楽しみ。(院生 四代目・玉田玉秀斎記)