国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)九思一言とブログと密書(院生三橋源一)

2019年02月14日

高校の頃だっただろうか、孔子か論語の言葉で「九思一言」、賢人は九度考えて一言話す、というような話を聞き、何故かずっと心に残っている。

今回ブログを書く機会を頂いてから、日々思いつく事をつらつら書き連ねるこのスタイルが、時代に即しているのだろうと感じるようになった。

体験談が聞く人の心を打つように、ツイッターなどその瞬間感じたことを発信し、共感を即時に返すのが現代のスタイルであり、良くも悪くも膨大な情報を瞬時に共有できる環境ゆえの人の在り方なのだろう。

紙が貴重であり、戦時におけるわずかな情報伝達に、命をかけて密書を運んだ忍びとは隔絶した世界に違いない。

「綸言汗のごとし」現代とはくらべものにならないくらい、発した言葉が重さをもった時代、当然、密書なども曖昧模糊とした内容は疎まれたはずである。

発する言葉も書面も、慎重に慎重に。過った意味にとられないように、よく吟味され洗練された時代、それゆえに古来よりの良書は声に出して読んでも心地良いのだろう。

話はかわるが昨年はこれまでにない程取材を受けた。よく言葉を吟味して発言しても、編集側の都合で全く意図が変わってしまうことも少なからずあった。

ブログを書く立場ながら、電子上の発言・データは便利であっても、いくらでもぶつ切りで加工され、意図しない方向に引用される性質も併せ持っているのだろう。

だから民泊をしようと思ったのかもしれない。思想の伝達方法は文章だけに限らない。ブログを通じて常に発信し続けてきたことは、村に住む人々の「生活の作法」であり、それが農山村における思想の表出方法であると強く感じる。

だから短期間でも一緒に生活し、その作法を感じてもらう機会を作りたい、と心の奥底で切望していたのかも知れない。

決して良い文章ではなかったけれども、このような機会を頂いて大変勉強になりました。関係者の皆様に感謝すると共に、あまりにも簡単に発言が共有される時代だからこそ、心のどこかに、「わずかな言葉を密書にしたためて、命懸けで伝達した忍び」を思いながら、言葉に気をつけて生活することを自戒し続けていきたい。(三橋記)