国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(エッセイ)今日の伊賀は「ぬくたい」です (酒井裕太)

2019年02月18日

さて、院生の皆様は春休みということで、私、酒井が久しぶりに書かせていただきます。忍者というより地元ネタですが。

伊賀を含む東海地方の方言の一つに、「ぬくたい」というものがあります。「ぬくい」という意味です。恥ずかしながら私はこれを標準語だと、20歳まで信じて疑わなかったのです。当時の携帯電話で文章を打ち込んだら、何度「ぬくたい」を変換しても「貫くタイ」とかになって、「だめだなこのケータイは」などと本気でぼやいていたくらいです。

大阪で人生初の一人暮らしを始めた大学生活では、四月に行われる部活やサークルによる、いわゆる「囲い込み」という勧誘行事がありました。それまではサッカーやテニスに打ち込んでいましたが、先輩の「うちに入れば、女の子がたくさんだぞ!」という言葉にそそのかされて私は茶道部に入部しました。実際はそんなことより作法以前の正座に苦しめられる日々だったのですが、茶室を自由に使えるという特典があり、それはもう事あるごとに茶室に入り浸って、予習もせずに「わびさびだねぇ」と一人悦に入っていました。痛々しいです。

茶室はエアコンのない庵でしたので、冬は温風器を何台も設置し、風炉の炭が赤くなるのをじっと待っていたものです。自分の点前中はそれはそれは寒く、ふすまをそっと閉めて御道具を洗い終えると一目散に温風器の前へ向かい、「あー、ぬくたい。ぬくたい」と手をこすっていたものです。ある日、他の部員に「前から思ってたんやけど、その『ぬくたい』ってなに?」と聞かれ、戸惑ってしまいました。「いや、これ、ぬくたいやん」と言ってもニヤニヤされるばかりで、「『ぬくい』の訛り?」と言われた時には、「この人は何を言っているのだろうか?」と本気で疑問に感じたものです。

その後、他の部員も交え「ぬくたいなどという日本語はある・ない」論争が始まりました。もちろん「ある派」は私だけで、孤軍奮闘しました。ない派の主張が、「『ぬくい』が『ぬくたい』なら、『さむい』は『さむたい』と言ってるのか、言ってないだろう」というものだったので、私は私で、「じゃあ君たちは金輪際『つめたい』と言わず『つめい』と言いいなさい」などと反論し、返す刀で「じゃああんたは『あつい』と言わず『あつたい』と言い続けなさいよ」と反論され、議論は泥沼化していきました。そこにお茶の先生がお稽古のため来庵され、私たちの議論を面白おかしく聞いてくれました。

「ぬくたい、というのは方言やね」

茶室では絶対的王者にして正義である先生に断言され、私は敗北しました。

さらに、私はだんだんと恐ろしくなってきたのです。

「もしかして、『ぬくたい』などと言ってるのはこの日本で自分だけではないのか?」、と。実は今までの人生で何度も口にした「ぬくたい」という言葉をまわりは違和感を覚えながら聞いていたのではないか、と。ではなぜ自分はぬくたいと言い出したのか、と。現在ならスマホでさっと調べて終わりなのですが、三和音のガラケー時代、そう簡単には分かりません。

そして冬休みの帰省時、近鉄電車の車内。大和八木駅を過ぎ、榛原駅を過ぎるとだんだん人は少なくなってきます。列車が忍びの里に近づいてくると、子供が座席の下からいきよいよく温風が出ているところを発見し、「ここめっちゃぬくたいでー!」と兄弟に知らせていました。その時の私の感動たるや今でも忘れられません。同志を見つけたようでした。

ずいぶん年月も過ぎたとある昼休み、こうしてWordにブログの下書きを書いていますが、私の文章には点々と誤字であることを示す赤線が見られます。「ぬくたい」の“たい”の部分を、人類の英知の結晶であるコンピューターが「誤字判定」しているのでした。(酒井記)