国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)ご挨拶  ~映画の歴史~  (院生 郷原匠)

2020年05月29日

皆様はじめまして!
三重大学人文社会科学研究科1年の郷原匠です。
大学時代は日本中世史ゼミ(担当教員:山田雄司先生)に所属し、卒業論文では忍者と呪術の関係性について研究しました。
また4年次には、大学内で忍者部を立ち上げ、初代部長を務めた経験もあります。忍者部は現在部員も増え、最近NHKの番組にも出演したということで、順調に部が存続し活躍の場を広げていることを本当に嬉しく思います。
現在大学院では、近世(江戸時代)における尾張藩の忍びについて日々研究をしています。もしそれに関する史料などございましたら、当センターにご連絡下さい。

さて本ブログに関しまして、過去、先生方や先輩方が数多くの記事を書いておられます。今後私もその仲間に加わるということで、一体何を書こうかと迷っておりましたが、自分自身の趣味が映画鑑賞ということで、忍者映画のレビュー、批評文を書いてみようと決心しました。

皆さんは映画を見るのは好きですか?私は大好きです。生まれてから現在まで見た映画の数は400本を超えています。死ぬまでに1000本は見たいと思っています。
そんな映画好きな私ですが、お恥ずかしいことに忍者映画はあまり見たことがございません。その理由は、忍者映画には地雷作品がとても多いからです。忍者映画はサメ、恐竜映画に並んで、あまり評価の高くないもの(俗にいうクソ映画)が多い印象を受けます。忍者は日本文化の代表的存在であり、国内外問わず強力なキラーコンテンツとなるゆえ、映画を見る側の期待・要求が必然的に高くなり、映画監督はそれを満たすだけの作品を作ることができていないのではないでしょうか。特に日本の忍者映画にその傾向が見られます。

しかしどの作品も必ず良いところはあります。映画評論家として著名な、故淀川長治氏はどんなひどい映画も必ず良い部分を見つけてそれを多くの人に伝えていました。ただけなすだけの二流評論家とは違います。私もそんな淀川さんを見習い、食わず嫌いせず数多くの忍者映画を鑑賞し、良いところを中心にお伝えしていけたらと思います。
先生方のように文章を書くのにあまり慣れていないため、最初の方は拙い内容になるかと思いますが、どうかご容赦下さい。

さあ今回はレビューの前に、映画の歴史について軽く振り返ってみようと思います。
1893年にエジソンが「のぞき眼鏡式映写機(キネトスコープ)」を発明し、1895年12月28日、リュミエール兄弟がパリでシネマトグラフによる世界初の無声映画、「工場の出口」を上映しました。約50秒というとても短い作品でしたが、当時の人々にとっては大感動だったことでしょう。余談ですが、2017年のフランス映画「リュミエール!」(監督:ティエリー・フレモー)というドキュメンタリー映画で、リュミエール兄弟の作品集を鑑賞することができます。1920年代になると、トーキー映画が作られるようになります。世界初の有声映画は「ジャズ・シンガー」(アメリカ、1927年、監督:アラン・クロスランド)。そのセリフは“You ain’t heard nothin’ yet.”(お楽しみはこれからだ)でした。その後1930年代にはカラー映画が作られるようになり、以後、「風と共に去りぬ」や「市民ケーン」、「ローマの休日」、「ゴッドファーザー」といった数多くの名作が世に送り出されました。現在でもスティーヴン・スピルバーグ監督、ジェームズ・キャメロン監督、クリストファー・ノーラン監督をはじめ、数多くの映画監督が世界的なヒット作を生み出しています。

日本に目を向けてみます。日本で初めて映画が上映されたのは1897年(「祇園芸妓の手踊り」、監督:駒田好洋)、日本初のトーキー映画は1931年です(「マダムと女房」、監督:五所平之助)。映画技術においてはアメリカにそこまで後れをとっていなかったことが分かります。その後50、60年代において、黒澤明、小津安二郎、溝口健二といった巨匠が現れ、日本映画は徐々に世界から注目されるようになります。特に黒澤明の「羅生門」「七人の侍」、小津安二郎の「東京物語」は現在でも世界的名作と位置付けられています。90年代以降は、北野武監督(「ソナチネ」や「HANA-BI」)や是枝裕和監督(「万引き家族」や「誰も知らない」)の活躍が目覚ましく、その他も数多くの日本人監督が世界で注目を浴びています。

そんな映画史の中で忍者映画はどのような位置付けがされるのでしょうか。忍者を題材とした最初の作品は、小松商会による「石川五右衛門」(大正2年(1913)、監督不明)とされていますが、私は見たことがないのでどのような作品かは不明です。時代から推測するに無声映画であろうと思われますが、無声映画下の忍者アクションがどのようなものかとても気になります。それを皮切りに徐々に日本で忍者映画が作成されるようになりました。数多くの作品の中でも「忍びの者」(1962年、監督:山本薩夫)は名作といえるでしょう。最近では「忍びの国」(2017年、監督:中村義洋)のヒットにより、忍者映画は再注目されています。

個人的に、忍者映画は国内よりも国外で人気があると感じています。忍者の戦闘・武術的側面が海外では大ウケするようで、ブルース・リー主演の「燃えよドラゴン」(香港、1973年、監督:ロバート・クローズ)、ショー・コスギ主演の「燃えよニンジャ」(アメリカ、1981年、監督:メナヘム・ゴ―ラン)は世界中で凄まじい人気を誇っています。特に2009年のアメリカ映画「ニンジャ・アサシン」(監督:ジェームズ・マクティーブ)では、黒装束を着た闇の暗殺者としての忍者が登場しており、多くの人の忍者のイメージ形成に貢献していると思われます。今後も世界の数々の映画で超人的な忍者が魅力的に描かれていくことでしょう。

以上、軽く映画史について紹介しました。次回から映画レビューを開始しますので、これからどうぞよろしくお願いします。                   (院生 郷原記)