国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(学生通信)無ㇾ功亦無ㇾ名 不ㇾ求?貴与栄? 国難今已了 瓢然身世軽(院生 リトクヨウ)

2020年06月11日

こんにちは、院生一年のリトクヨウです。今回、忍者の「正心」について、お話したいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
私は現在、中国儒教の伝統著作「四書五経」を読んでいます、それにしたがって、儒教の主張していた「仁」の思想は「万川集海」に書いてある「正心」と多くのところで、共通していることに気づきました。儒教の主張していた「仁」の思想とは単なる一面ではなく、色々な思想を含めて、「仁」になるわけです。簡単に言えば「仁」というのは「仁愛」を中心として、「義」「礼」「智」「忠」「信」「孝」「悌」などの思想主張からなった思想であります。それに対して、「万川集海」に書いてある「正心」とは、つまり、「仁」「義」「忠」「信」ということであり、漢字から見れば、両方でとても似ていると思われるでしょう。
さて、これから、その同じ部分を一緒に見てみましょう。
儒教の主張していた「仁」の思想では:
仁:中心として、皆を愛し、賢徳ある人に喜んで付き合い、不幸を哀れみます。
義:偏らずに道理に従って、物事を処理します。それに、義は宜で時、地、人によって、ふさわしい行動を取るべきであります。
忠:人に対してはもちろん、自分にも心を尽くし、心を裏切らないとします。
信:誠実で、信用を守り、人を疑うこともしないとします。
「万川集海」に書いてある「正心」では:
仁:心をまろやかに潤わせ、穏やかで何の事でも憐れんで、恵みの心を持つこととします。そして、恩を忘れず、親に孝行するのも仁の心と言えます。
義:その時の道理によって変わり、時や場所に合った道理に従って行動することとします。
忠:主君に対して、真心を尽くし、自身がどのようになっても構わず、専心尽くそうとする心のことを言います。
信:全ての物に真実の誠があることで、少しでも偽りやでたらめなことがないことをいいます。
以上で、両方に主張された「仁義忠信」には同じ部分が沢山出てきました。「忠」については、儒教では、主君よりも、自分に忠を求めようとしていますが、「正心」ではやはり、主君に対して忠誠を尽くすのがもっと重要なのかもしれません、何故なら、忍者はいつも敵地に行って情報収集をしていますが、捕まって情報を漏らしたら、自国に大きな悪影響を与えるためで、主君に対して忠誠を持たなければならないと要求されいます。
タイトルは私には名を知らない詩であり、忍者に追求される「音もなく、臭いもなく、知恵者だと言われることもなく、勇者だと褒められることもないが、天地を創造するほどの大きなことをなり遂げるのが忍びであった」という精神に一致し、とても感動しました。
忍者についても、まだ世の中に知らないことがあると思います、これからも引き続き、勉強に伴い、深く研究したいと思います。(院生 リトクヨウ記)