国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
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(エッセイ)刀印剣印と忍者の印 (吉丸雄哉)

2022年12月01日

 当ブログで「忍者の印の結び方警察」(2022年11月10日)に忍者の印について述べた。
https://ninjacenter.rscn.mie-u.ac.jp/blog/2022/1110-2/  
 私は忍者の印の「正しい結び方」などないという意見であり、それにもとづき見解を補っておく。

 世間で忍者の正しい印の結び方を広めているのは、主に忍者ショーに携わっている人たちのようである。そこで行われているのは九字の印を切って行う九字護身法である。これは実際の忍術流派、あるいは元来の修験道や真言密教で行われているものである。今年度のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第30話で僧侶の阿野全成が行っているのを見た人もいるだろう。
 
 さいきん世間で言われている忍者ポースでの印は「九字護身法」における「刀印」「剣印(けんいん)」のことを指すようである。

「刀印」の用例はたくさんあるものの、辞書での立項目としては「剣印」だけのようで『例文仏教語辞典』(小学館)によると「剣印」は、

 密教で、印相の一つ。刀剣を表示する印。大日剣印や不動剣印など種々の剣印があるが、不動剣印は左手の指を鞘(さや)、右手の指を剣に擬して、鞘に剣を入れた形に、両手を組み合わせる印相。

 とある。刀剣を表示すればいいので、形はさまざまだが九字護身法でつかわれているのは「不動剣印」であり、世間でいう「正しい忍者ポーズ」の印はこれにもとづく。

 刀印・剣印は刀を表現するものであれば、「不動剣印」のように両手で結ばなくても、右手でも左手だけでも構わない。

 古い用例からあげると『古今著聞集』(1254)2の52「夢中に不動尊仕者、形をあらはして見え給けり。〈略〉左手に剣并びに索をもち、右手に剣印をなす」とあるように片手だけでも「剣印」である。善光寺阿弥陀如来三尊の中尊像のように、仏像の片手だけが刀印・剣印になっているのも珍しくない。また、下に掲載した「切紙九字之大事」でも片手で「刀印」である。なお「切紙九字之大事」は忍者資料ではなくて仏教の資料である。

 『例文 仏教語辞典』を見ていくと、「九字護身法(くじごしんぼう)」では、

  特に修験道の一派で行う秘法。九字を唱えながら虚空を縦横に切り払って、一切の災難を除き、その身を護る法。

 とあり、さらに「九字」を見ると。

 修験道の行者が道教の六甲秘呪と名づける九字の呪法に九印の秘印を結びつけて行うようになった修法で、山に入るとき、災害を払い、身を守るために行うようになったもの。「臨兵闘者皆陳列在前」の九字を唱え、刀印を結んで、空中に縦に四本、横に五本の線をかく。道教では縦横法という。

 と記してある。
 「九字の印」については、

 金剛針印(独股印)、大金剛輪印、外師子印、内師子印、外縛印、内縛印、智拳印、日輪印、宝瓶印の九印。九字真言を誦し、この九印を結んで、禍いを避け福を招くように祈る。道教の信仰に由来するが、修験道では九印に毘沙門天、十一面観音、如意輪観音、不動明王、愛染明王、正観音、阿弥陀如来、弥勒菩薩、文殊菩薩などを本地仏として配当する説がある。

 とある。前回のブログでも掲載した「切紙九字之大事」をもう少し見やすく掲載しなおすが、これと辞書の項目をあわせると「宝瓶印」が「隠形印」になっている点が異なるがその他は用字の小異を除いて同じである。

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 忍者ショーあるいは忍術修業や修験道などで九字護身法をきっちりやろうとする場合に、「不動剣印」を結んで「左手の指を鞘、右手の指を剣に擬して、鞘に剣を入れた形に、両手を組み合わせる」のを正しいとしてまったく問題ないだろう。

 問題は、忍術をつかうための忍者の印が本当に「不動剣印」といえるか、ということである。九字護身法はたとえ忍術流派でやっていることであっても、それが普遍的であるとは限らない。たとえば『忍秘伝』『正忍記』には忍者の印のことは書いていない。『万川集海』(内閣文庫本)の場合、巻13「隠形術五箇条」の「観音隠の事」に記述があって、

 隠形之大事宝篋の印にて咒に曰
 ヲンアニチマリシエイソワカ(ふりがな)
 〇 〇〇〇〇〇〇〇 〇〇(梵字なので出ない。切紙之大事にも同じ字) 口伝

 と隠形(姿消し)の呪文として「宝篋の印」が記される。これはおそらく『仏教語辞典』「九字の印」の「前」の順番の「宝瓶印」と同じであり、「切紙之大事」では「前」が「隠形印」とあって『万川集海』はおそらくこの印を指していると思われる。「切紙之大事」の記述や図のとおり、「前」だと「左の手をうつろににきり、右手の上にをく。」となって右手の上に左手を載せる形になる。

 創作における忍術は江戸時代から「隠形」「変化」数は少なくなるが「飛行(ひぎょう)」であって、これを発動するために九字護身法のとおりにする必要はないのである。実際に、不動剣印になっていない妖術・忍術の印は浮世絵(歌舞伎の芝居絵)や絵本や読本の挿絵などにいくらでも見られる。

 前回のブログの記事について、実際に忍術修業を行っている忍道家の方が「忍者ごっこの印の組み方は好きなようにニンニンポーズとってくれればいいと思います」と感想を述べていたが、まったく同感で、創作の中で忍術をつかうのはもとより、あるいは現実においても気持ちを落ち着かせるとか超自然的な忍術をつかうための印(超自然的な忍術が発動できるかは別にして)は、まったく好きなようにやればいいのである。『NARUTO』に出てくる印には、元になる印があるにしても、それをある忍術を発動するために結ぶことは正しいも正しくもない。

 忍者ポースをとる人が九字護身法に関連づけて不動剣印を結んでいるのでなければ、現実に印を結ぶにしてもある忍術を発動するための忍者の「正しい印」などないので、不動剣印だけではなく、創作同様にどのように印を結んでも構わないというのが私の考えである。(吉丸記)