国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(お知らせ)「津阪東陽の文事」展

2018年06月16日

三重大学国際忍者研究センターの吉丸雄哉です。

2018年6月14日から8月10日までの会期で、三重大学附属図書館で「津阪東陽の文事」展が開催されています。図書館の玄関ホールを利用した展示棚5つをつかった小さな展示ですが、機会があればご覧ください。資料展示は図書館の開館時間と一緒になっているので、開館カレンダー http://www.lib.mie-u.ac.jp/calendar/cal_year.pdf を参考にしてご来館ください。

図書目録は

http://www.lib.mie-u.ac.jp/r_and_d/research/exhibit/tenji180613.pdf

からダウンロードできます。目録収録作品に『孝経発揮』『訳準笑話』の異版本を加えて展示しています。

津阪東陽(1757~1825)は津藩藩校有造館の初代督学(校長)で、優れた教育者であり、儒学者であり、漢詩の批評と実作にも力を発揮した人物でした。人生は紆余曲折でして、当初は医を志すものの18歳から儒学の道に転じ、ほぼ独学で学問を京都で修め、33歳で津藩の儒官になって、伊賀に赴任します。英明で知られる10代藩主藤堂高兌 (たかさわ)に津に呼び戻されたのが51歳でした。そこから津でいよいよ頭角を現し、藩校有造館設立の建議を行い、63歳で有造館の初代督学となりました。

伊賀で18年間の勤務をしていることや、三重大学の遠い前身にあたる藩校有造館の督学であったことも三重大学国際忍者研究センターと縁があるといえましょう。

忍者に関連していいますと、津阪東陽が59歳のときに江戸の出張を終えて津へ戻る途中、鎌倉に寄り道して古跡を見たことが大目付(藩士の監察長官)に知られて謹慎処分にあいます。津阪東陽は尖った性格で人と衝突することが多かったようで、敵も少なくありませんでした。おそらく反対派の手下がこっそり見張っていたのでしょう。

津阪東陽の文事でいいますと、その著作は読み手が理解しやすいようにいろいろと配慮されていることがわかります。今回の展示でいえば、詩論ながら漢字かなまじり文で解説した『夜航余話』、漢詩の入門にうってつけの七言絶句のみをあつめた『絶句類選』、儒学の初学者のためのテキスト『孝経発揮』、漢文を教えるのに笑話をつかった『訳準笑話』、女子教育のために編まれた『道の柴折歌合』などは、書き手・編者のほうが読者に一歩近づく態度が感じられます。東陽が在野の時代が長かったからかもしれません。

今回は三重大学附属図書館主催の企画でしたが、国際忍者研究センターが収集の和古書や古文書や忍具を展示することも考えています。おかげさまで、昨年のセンター開設以来いろいろな史料を得ることができました。皆様のお目にかける日を楽しみにしております。