国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

忍者学とは

研究の内容

中世の忍者

忍者は歴史的には「忍び」と呼ばれ、最も重要な職務は、主君に命じられて情報収集をすることでした。忍びは鎌倉時代末期から力を拡大してきた悪党を起源として登場したと考えられ、14世紀はじめの南北朝時代から19世紀後半の江戸時代の終わりまで活動していたことがわかります。伊賀は大名の力が弱かったため、そのかわりに自治を行い、自衛のための忍術が発達しました。それによって天正伊賀の乱の際には1度は織田軍を退けることもできました。
戦国時代には、各地の大名のもとに忍びが召し抱えられ、敵国への侵入、放火、破壊、夜討、待ち伏せなどを行いましたが、最も重要なのは敵方の状況を主君に伝えることなので、極力戦闘を避け、生き延びて戻ってくる必要がありました。そうした活動のため、忍術にはさまざまな知恵が凝縮されることになりました。(山田雄司)

近世の忍者

近世になると、戦争のない時代となりました。忍者は、幕府や各藩に仕官して下級武士となったり、武士の格式をもつ百姓になったり、普通の百姓になったりなどします。
幕府の伊賀者は、多くの家が先祖を伊賀国の忍者と意識していました。ときどき秘密の任務を帯びて、情報探索活動を行っていた形跡があります。幕府の伊賀者松下家文書は、幕府における伊賀者の勤務の実態を知ることができます(高尾善希『忍者の末裔』角川書店)。藩に仕えた忍者も、隣りの藩の情報を探ったり、百姓一揆の風聞を探ったりするなど、やはり情報探索を行っていました。ただ、普段は、城下町や城の警備などを担当していることが多かったようです。
いっぽう、村に残った忍者たちの中にも、忍術書を記して、かつての忍術を忘れずに後世に伝えようと考えていた家がありました。(高尾善希)

忍術書

忍術についてまとめられた書が忍術書です。忍術書の内容は多岐にわたり、忍びの心構えからはじまって、侵入術・変装術・交際術・対話術・記憶術・伝達術・呪術・武術などのさまざまな術について詳しく解説されており、また医学・薬学・食物・天文・気象・火薬など多方面の知識が記されています。
忍びはさまざまな術を駆使して情報を収集する必要があったため、忍術書にはあらゆる方面の知識がまとめられています。この中には現代では忘れられてしまったものも数多くあり、それらを再現することによって、何か現代社会に活かしていけないか研究を行っています。(山田雄司)

作られた忍者イメージ

江戸時代では、現実の忍者の活動を見る機会が普通の人にはなくなりました。小説やお芝居のなかで活躍する忍者が一般的な忍者像になりました。忍者が主役級に活躍する話では「忍者が忍術を用いて大事なものを奪って戻ってくる」「魔法的な忍術を身につけた忍者が天下の転覆やお家の乗っ取りなどをはかる」というものがほとんどでした。
いまでは忍者は黒装束に手裏剣という組み合わせが定番ですが、江戸初期から18世紀半ばまでは忍者は普通の人の格好で描かれていました。18世紀中頃より主に見た目の問題から演劇において忍者が黒装束や黒覆面に手裏剣といった姿で登場するようになり、19世紀初頭には小説でも同様の姿が定着します。
江戸時代の忍者は後ろ暗い存在として描かれますが、大正期の立川文庫の猿飛佐助よりヒーローとしての正義の忍者が登場します。(吉丸雄哉)