国際忍者研究センター

三重大学では、伊賀地域の発展のために、
忍者の歴史や文化を研究し、その成果を発信しています。

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(エッセイ)伊賀者も使っていた? 不及流歩術なる武芸

2018年06月21日

こんにちは。国際忍者研究センターの酒井です。

忍者や忍術を探求している方ならば誰しもが遭遇するであろう説が、「芭蕉忍者説」です。私もここ伊賀の生まれなので、「芭蕉さんは忍者やったかもしれんのやで」とおっしゃる方には今まで多く出会ってきました。「芭蕉忍者説」に関しては、すでに当センターの先生方ほか、多くの研究者によってしっかりした研究がなされているのでここでは語ることは特にありませんが、しいて今回挙げられる要素としては、「芭蕉の移動距離」です。一日で5、60kmほど歩いていた!などという点をもってして関連付けられることもあったようですが、それもまた当時の徒歩による移動距離としては「可能」、というのが実際のところであります。

さて、ここで本題なのですが、それでは本当の忍者はどれくらい移動したのかということです。先日、フョードル研究員といろいろと探っていたところ、ふとしたことから「不及流歩術」なる「武芸」の文献を目にすることができました。「増補大改訂 武芸流派大事典」によるとこの不及流は、「江戸中期の人、岡伯敬が祖。伊賀者の歩行術という」と書かれています。ですが明和八年に書かれた岡伯敬の文章には「不及先生の門に謁し、就て弟子の體を執」とあるので、岡伯敬なる人物より前にこの歩術を身につけていた不及先生と呼ばれた人物がいたことが分かります。但し、この不及なる人物が不及流を名乗っていたかは不明です。その内容をここで詳しく解説するにはあまりに長くなるので(ということにして私の力量不足を誤魔化すことにして)、簡単に距離だけを書かせていただくと、岡伯敬曰く不及流ならば、「健康な人なら一日40里(約160km)はたやすい」と言うのです。大阪―名古屋の直線距離くらいですね。これが本当ならば江戸時代の飛脚の中でも超上級レベルの移動速度でしょうか。

そして最後に、これが本当に伊賀者が習得していた歩術だったかということですが、残念ながらそこはまだ解明できていません。「武芸流派大事典」にしても先ほど書かせていただいた引用文がすべてですし、編者の「~という」とした言葉からも分かるように、どこまで確証があるのかは不明であります。こうしてまた、己に宿題を課す国際忍者研究センターでありました。とりあえず、私は、被験者にはならないことを先に宣言しておきます。

せっかく伊賀の人間が書いているのだからということで、次回からはもう少しローカルな話題を書いていこうと思っています。